2019年3月31日日曜日

志子田薫《写真の重箱 5》

 皆様こんにちは。写真、撮ってますか? そして写真を見てますか?
 私は今、横でスキャナがウィーンと唸っている中、このキーボードを叩いています。
 年始に祐天寺の“Paper Pool”にて行われる「135 x 135mm展」に使用する写真を取り込んでいるのです。
 この写真展は、『昔は重宝されていたものの、今となっては普段あまり使われない焦点距離である135mmレンズに光を当て、35mm判フィルムフォーマット(=135mmフィルム)で撮影し、その魅力を表現する』という趣旨なのですが、やはり難しい……

 当時は28mmなど広角よりも、標準域の前後が好まれていたのでしょうか。80年代に発売されていたカメラのキットレンズは35〜105mmが多く、私が最初に手に入れたズームレンズもそうでした。そうなると望遠側も105mmは微妙に物足りなく、当時高校生だった私は個人的に手の届かない距離の物が写せる望遠レンズに魅力を感じていた為、単焦点の135mmに憧れていました。

 私が今回使うレンズは、十数年前に当時錦糸町テルミナの中にあったヒカリカメラさんで購入しました。ジャンク品とありましたが、レンズは綺麗だし、某マウントとそっくりなので使えるのではと浅はかな考えで購入したそのレンズは、とあるカメラの専用レンズとして1950年代に販売されたものでした。
 デジタルカメラといろいろな道具を組み合わせて何とか使えましたが、スマートとはとても言い難いゴテゴテしたシステムになってしまったため、その後このレンズは部屋の片隅で眠っていました。

 近年のオールドレンズとマウントアダプターのブームにより、マイナーなこのレンズ用のマウントアダプターを発売するところが出てきましたので、今年の後半にライカのスクリューマウントに変換するマウントアダプターを購入し、やっとデジタルではスマートに使えるようになったところへ、今回の写真展のお話が出てきました。
 しかし、何を隠そう(別に隠していませんが)、私は所謂フルサイズのデジタルカメラを持っていないので、今回の写真展の主旨に沿うにはフィルムカメラで撮ることになります。今回はライカM6とDIIの双方で撮り歩いてみました。
 ライカというと基本的に内蔵距離計でピントを合わせますが、このレンズとマウントアダプターの組み合わせは距離計に連動しませんから、ファインダーでおおよその見当をつけたら、外付けの距離計で距離を図り、その数値通りにレンズのピントリングを回し、改めてファインダーで構図を確認し撮影するという、なんとも手間のかかる方法になってしまいます。誤差もあるし、距離計にない数値のところで決めるしかない。しかも距離計で距離を測ってからシャッターを切るまでの間に多少の前後差が出てピントがズレてしまったり、ファインダーとレンズとの誤差もあったりして、とてもスナップどころではありません。結局思い通りのものが撮れていたかというと……

 まぁ、今回の撮影を通じて、改めて「撮影内容と機材の組み合わせは重要だ」という、ここ最近のメルマガに書いているような事を実感しています。

 写真展「135 x 135mm展」は、祐天寺 Paper Poolにて、前期は2019/1/10(木)〜1/20(日)、後期は1/24(木)〜2/3(日)の木曜〜日曜に開催されます(月〜水はお休み)。
 私は前期に出展します。末席を汚してしまいますが、ご笑覧いただければ幸いです。

※板橋区大山にあるUP40GALLERY & SANISTAでの公募展「増殖 2018」展にも参加しています。



 さて、12月中旬、メルマガの打ち合わせをしたいという、このメルマガ編集人の鎌田さんからの連絡に、私が指定した待ち合わせ場所は新宿にあるMapCameraの地下一階。
 なぜここで待ち合わせたかというと、前回の「重箱」の内容を受けて、鎌田さんからこんなコメントが届いたのです。

「何故ライカ(あるいはレンジファインダー?)というのは強力な磁力があるのか知りたい。プリント(あるいは画像データ)としての写真だけ見ても、余程のことでもない限り何のカメラで写したかを特定するのは難しいと思うのですが、つまり『綺麗に写るから』だけが『ライカの磁力』ではないわけですよね。そのあたりが知りたいなぁ、と思いました。」

 確かにプリントから“どのカメラとどのレンズの組み合わせか”を特定するのは難しいですよね。レンズの描写に詳しい方なら、どのメーカーのカメラかが分かれば、それに着けられるレンズを推測し、その描写から推測される方もいらっしゃいますが、今はマウントアダプターがありますから、カメラが何れかというのは特定しにくいし……
 そもそも今回のお話はそれとは別の次元です。一体何が惹きつけるのか。それに迫るためには、実際に触れてもらった方が良いのではと考えたわけです。
 MapCameraの地下一階は「ライカブティック」という看板を掲げ、新品・中古のライカを主に扱っているフロアでして、実際にデモ機としてライカや中判デジタルカメラを気軽に試すことが出来るスペースがあります。以前はフィルムのライカも列んでいたのですが、今回は全てデジタルになっていたのが残念でした。

 それはともかく、約束の5分前に行くと既に鎌田さんは到着しており、ライカに触れながら「本物って感じがしますね」と仰いました。
 外観だけでなく、手に触れた時の感覚なども含めて、しっかりと作り込んであること、シンプルな操作系(メニュー内は別としてw)、シャッターのフィーリングなどがそう思わせたのかもしれません。
 鎌田さんはデザイナーであり、ご自身も写真を撮り(それこそ私以上に写暦がある方ですし)レンジファインダーもコシナ製ベッサを使った事があるなど、様々なカメラをお使いになっていますが、やはりそれまでのカメラとは違うと感じたようです。勿論その後新品の価格を知って驚いていましたが……ドイツ車と日本車との違いを挙げ乍ら思った事を話して頂きました。やはり良くも悪くもドイツらしいのかもしれませんね。

 横には富士フイルムから出ている中判デジタルカメラも置かれていて、それはそれで日本の技術の結晶が詰まっていて流石と思いますが、この二つを並べてしまうと両者の違いが感じられます。そして「レンジファインダースタイル」と呼ばれるデザインですが、勿論それは形だけであって、実際にレンジファインダー、つまり“距離計”を使ったカメラではありません。軽くて使い勝手は良いですが、ファインダーはEVFですし、そこには様々な情報が表示されます。欲しいカメラの一つではありますが、素通しガラスのレンジファインダーカメラの様に両眼を開いて撮影した時に、個人的には実物とEVF上の映像に違和感を覚えるので、レンジファインダーではないと割り切って、合理的な道具として、そして「消耗品」として割り切って使う事になるだろうなと思ってしまいます。

 最近のカメラは基本的にフルオートにもなる便利で多機能なものです。中にはトリミングまでオススメしてくれるカメラもありますから、自分はそのカメラを持ってその場に居合わせ、シャッターを押せば良いわけです。動画から切り出す写真ならシャッターすら切る必要はありませんね。

 対してライカは、フィルム時代に絞り優先機能のついた機種が出た事でシャッタースピードこそオートに身を委ねることが出来るようになったものの、絞りとピントは撮影者自身が決める必要がありました、そしてこれはデジタルになった今も変わりません。
 デジタルの時代に入って、ライカも枚数と感度の呪縛から解き放たれたものの、それはあくまでもオプショナルなものであり、実際にはピントや露出など撮影にまつわる総てを使う人間が決めるのが前提なので、フィルムのライカ同様にそれだけ潔いシンプルなデザインを維持できるのかもしれません。

 しかし、物質的な魅力があっても、100%万能なカメラではないという事、レンジファインダーカメラならではの不得意なものも知って欲しかったので、更に鎌田さんには実際に色々操作して頂きました。

 ライカでファインダー内のフレームで切り取った「つもり」の場所と実際に撮影された写真とでは、実際には微妙な誤差が生まれることがあります。これはデジタルのライカで撮るとリアルタイムで確認できるからより簡単に分かりますから、鎌田さんにも体験してもらいました。レンジファインダー機には良くあるこの誤差、高梨豊さんはある撮影とカメラとの組み合わせにおいてこれを「揺らぎ」と考え、受け入れるようになって撮り進めることが出来た作品があるそうです。

 そもそもレンジファインダーに於けるフレームという存在自体が(幾ら補正がかかる機種だとしても)曖昧なものですから、自分が覗いた通りの切り取り方をどうしてもして欲しいと考える人は一眼レフ(もちろん視野率100%のもの)や中判・大判カメラ、デジタルカメラなどで撮れば良いわけです。

 そしてレンジファインダーカメラが実際に報道などで使用されていた頃は、それと一緒に、一眼レフを長玉(望遠レンズ)と組み合わせて撮影する人も多かったようです。というのもレンジファインダーカメラの場合は焦点距離が大きくなればなるほどファインダー内のフレームは逆に小さくなってしまいますし、小さなカメラに組み込まれた距離計の精度上ピントを合わせ辛くなります。これについては距離計、そして三角測量の原理などに触れなければならないので割愛しますが、同様に距離計の苦手な1メートル以内の至近距離のモノなどもレンジファインダーはお手上げです。それに対して一眼レフは長玉であろうとマクロであろうとファインダーには実像しか入りませんから全く問題ありません。「撮影内容と機材の組み合わせ」を使い分けて利用するわけです。
 デジタルのライカになって、ライブビューや外付けEVFを取り付ける事で視野率100%の写真や、長玉やマクロ撮影、ピントを追い込んだ写真は撮れるようになりましたが、速写という面がスポイルされてしまいますから、自分が写真を撮るときに何を求めるかで、使うカメラの種類は自ずと決まってきます。



今回、本当ならば前回の続きで大判写真、4×5や8×10、それ以外のサイズを使う人を書こうと思っていたのですが、ちょっと脇道に逸れてしまいました。次号では本来のルートに戻って進めていきましょう。

2019年3月3日日曜日

志子田薫《写真の重箱 4─ 続 カメラのハナシ》

 皆様こんにちは。写真、撮ってますか? そして写真を見てますか?
 私はやっと少し肩の力が抜けたようで、以前ほどではないにせよ写真を撮ることが増えており、先日は久々に現像所へ顔を出して数本フィルムを現像してもらいました。同時進行でデジタルカメラでも撮影をしているのですが、この二者をまとめるのか、それとも別個のプロジェクトにして行くのかは未だ見えていないのがネックです。



 既に終わってしまった展示ですが、10月2日から7日の間[Roonee 247 fine arts]にて写真家 飯田鉄さんの『RECORDARE』という個展が開催されました。これは同名の自費出版写真集の発売記念的な意味合いもありました。
 飯田鉄さんは都市環境や庶民生活を被写体とし、写真集『街区の眺め』や寺田侑氏の詩とともに綴られた『まちの呼吸』、そして過去の写真展で昭和の残り香や都市の変遷を写真に封じ込めてきました。
 しかし今回は導入部こそ前出の流れを汲んだ建築写真が並ぶものの、その先は一見すると今までとはちょっと違う写真が並びます。自然が奏でる空気感や、人間若しくは自然が生み出した造形美を追い求め、むしろ「レンズ汎神論」や「使うライカレンズ」などの作例写真で垣間見られたような世界が広がっていました。デビュー当時の飯田さんをご存知な方は「彼が好き好んで撮っていたのはこんな感じだった」と仰っていましたし、ギャラリートークのゲストとして招かれた河野和典さん(元『日本カメラ』編集長で『レンズ汎神論』でもタッグを組み、現在は日本写真協会『日本写真年間』編集委員などを務める)からも「作家の目は一貫している」という言葉が。当の飯田さんも「こういうのがずっと好きなんです」と仰っていました。

 今回の作品が撮られたのはここ数年、2006年から今年4月までの写真。それもデジタルカメラで撮られた写真ばかりとの事。中には昨年のギャラリーニエプスでの個展「草のオルガン」で私が気に入った作品も展示されていました。

 飯田さんはカメラやレンズの作例写真家としても著名ですが、ギャラリートークでもその話が出てきました。前述の河野さんも飯田さんのことを、多岐に渡る(カメラやレンズ、アクセサリ類などの)機材への造詣が深く、その上で機材を活かす作例写真が撮れる数少ない写真家だと太鼓判。
 もちろんその為には膨大な量の撮影で培われた経験、そして機材やフィルムなどの知識との組み合わせから導き出される勘、そして想像力をフル回転させて(何しろフィルムは現像するまで結果が判りませんから!)一つ一つの作例を作り上げていったのでしょう。
 私はそんなノウハウの一端を直接吸収できた、飯田さんが教鞭をとられていた学校の生徒さんたちが羨ましく思えましたし、会場に来ていた学生さんやOBOGの楽しそうな顔を見て、更にその気持ちが強まりました。

 写真展は終了してしまいましたが、写真集『RECORDARE』は引き続きRoonee 247 Fine Artsで取り扱っているので、興味のある方は是非お手にとって見てください(表紙が赤と青の2種類で各150部、計300部限定)。
 表紙を開くと奥付(書籍の最後の方にある出版社や著者の情報が記載された「奥に付ける」頁)から始まるという不思議な装丁です。まるで現在から記憶を順に辿って行くような感覚で(実際には写真は時系列ではないのですが)ページを捲る楽しさがあります。



 さて、前回のメルマガの締めに、『写真家の方々は実際にどういったカメラを使って、どのような写真を生み出してきたのか。この辺に関して次回触れていきたい』と大風呂敷を広げてしまいましたが、これに関しては、一種パンドラの箱的なモノでして、しかもデジタルカメラに至っては昔以上にメーカーの思惑が見え隠れしているので、写真家個人が独断選んでいるかは微妙なところです。
 例えば、前出の飯田鉄さんは、趣味と仕事の両面で多岐に渡るメーカーの様々なカメラやレンズを使っています。
レンジファインダーカメラだけでなく、一眼レフ、ミラーレス等を巧みに操る飯田さん。
でもとりわけ、私にとっては飯田さんはニコンにフジ、そしてライカを使っている印象が強いですね。
しかもライカは初期のA型から最新のデジタル系まで、その時の仕事や作品作りに合わせて文字通り「使い分け」をされています。
 実は以前、私は飯田さんの「東京近郊の街を歩く」ワークショップに参加しておりました。そこでは、M型ライカをスッと構える所作や、ライカTL(当時はライカT)のタッチパネルタイプの(スマートフォンのようなフリックやピンチ、ズーム操作をする)液晶画面を、「苦手なんだよな」と言いながら、おっかなびっくり触っていたの印象に残っています。



 高梨豊さんは、沢山のフォーマット、そしてカメラの特性を生かして写真を撮っている、様々なカメラを使い分ける達人です。
 高梨さんは『ライカな眼』という本を出されている通り、普段はライカを使っていますし、秋山祐徳太子さんと故 赤瀬川原平さんの3人で“ライカ同盟”の名の下で活動されていましたので、そちらで高梨さんをご存知の方も多いのではないでしょうか。
 でも、高梨さんも決してライカ一辺倒ではなく、様々なカメラ、そしてフォーマットを使い分けています。もともと商業カメラマンという立場でもありますから、コマーシャルスタジオなどで使われていた蛇腹のフィルムカメラ、4×5や8×10は勿論、6×7や645などの中判フィルムカメラ、そしてもちろんライカなどの35ミリフィルムカメラを使うのですが、彼の場合、作品のコンセプトによってそのフォーマットをセレクトしているのが特徴です。

 1977年に出版された『町』という大判写真集(43.5×30cm)では、前作『都市へ』が35ミリフィルムのレンジファインダーカメラ、ニコンのS型やライカなどでのスナップ撮影でフットワークの軽さが中心だったのに対して、三脚に4×5のビューカメラを取り付けた状態で町を歩き、ワンカットワンカットを丁寧に、その事物を記録しているのが写真から伝わってきます。
 私も数年前に高梨さんを真似て同じようなスタイルで撮影したことがありますが、カメラ自体の重さはもちろん、それを支えられる三脚もしっかりしたものになりますし、道具も大掛かりになります。1カットを撮る際のお作法も35ミリカメラやデジタルカメラとは比べ物になりませんし、何より目立ちます。私は「不動産の人?」と訝しげられました(苦笑)
 でもそれで撮った写真は細部まで情報量のあるものになります。
 写真を「記録」として考えるのであれば、この情報量がとても重要になりますが、4×5に三脚ではフットワークが悪くなってしまいます。以前鎌田さんとのメール対談でも出てきた『都の貌』は、先ほどの『町』の後に出版されていますが、この作品は、夜の街中や室内の僅かな光で対象物をシャープに捉える必要もありつつ、フットワークを軽くする必要もあったため、35でも4×5でもなく、中判の6×7(マキナ67とW67)に三脚の組み合わせに変わります。
 現在同じようなアプローチをデジタルカメラで行うのであれば、5000万〜1億画素以上を持っている中判デジタルやシグマのsd Quattroなどを三脚に据えて撮る感じでしょうね。



 さて、今号では飯田鉄、高梨豊という「ライカ使い」な二人をピックアップして見ましたが、ライカといえば古今東西数多くの写真家の方々が使っていますし、カメラやフォーマットを広げれば様々なアプローチをしている方々がいらっしゃいますから、次回はもう少し突っ込んだ話を書いていきましょう。

2019年3月1日金曜日

松村喜八郎《映画を楽しむ 6 ―我が愛しのキャラクター列伝④》


ブランチ・タイラー/1976年「ファミリー・プロット」


 アルフレッド・ヒッチコック監督の遺作に登場したインチキ霊媒師。冒頭、おばあさんの前で降霊術を披露する様子は、いかにも芝居がかっている。それでもおばあさんが信用してしまうのは、約40年前、妹が生んだ赤ん坊を養子に出したことを悔いていること、行方の知れない妹の子を探し出し、自分の財産を譲りたいと思っていることを言い当てるからだ。その情報は、タクシーの運転手をしている売れない役者の彼氏、ジョージが調べてきたことなのだが、完全に騙されたおばあさんは「妹は未婚で子を生んだ。うちのような名家にスキャンダルはご法度だった。極秘にその子を捜索してほしい。お礼に1万ドル払うわ」と申し出る。1万ドル! ブランチは、いいカモを見つけたなんて感情はおくびにも出さず、しれっとして言う。
「私への謝礼ではなく、私の慈善事業への寄付として受け取ります」 
 この言葉を真に受けたおばあさんの反応が笑える。
「あなたは無欲な人ね。裕福な自分が恥ずかしい」
 ブランチはジョージとともに1万ドルの子ども探しに奔走する。細い糸を手繰ってようやく行き着いたのは宝石商のアーサーだった。このアーサーがとんでもない奴で、恋人のフランと組んで富豪を誘拐し、身代金として高価な宝石を手に入れてきた。ブランチとジョージは、ちまちまとお金を騙し取る小悪党だが、アーサーとフランは卑劣な大悪党だ。ヒッチコックはこの二組のエピソードを交錯させながら、「泥棒成金」や「北北西に進路を取れ」のような、ハラハラドキドキとユーモアの混合した
サスペンス劇を作り上げた。未だ衰えぬ力量に感激させられたので、次作「ショートナイト」の準備中に亡くなったことを知って実に残念な思いをしたものだ。
「ファミリー・プロット」におけるユーモアは、ブランチ役のバーバラ・ハリスに負うところが大きい。ヒッチコックは彼女のデビュー作(日本未公開)を観て起用を決めたそうだが、その期待に応えて性欲、食欲ともに旺盛なブランチを生き生きと演じていた。ジョージにセックスのおねだりをする場面は傑作だった。
「どこへ行くの?」「家に帰って寝るのさ」「駄目よ」「それしか頭にないのか」「私に我慢しろと?」「たまにはいいだろ」「冷たいのね」「疲れてて君の役に立てない」「いつも役に立たないじゃない」「今夜は勘弁してくれ」
「ろくでなし」
 とにかくしつこくて、そこが可愛い。ジョージの作ったハンバーガーを食べる場面も愉快で可愛かった。淑女のたしなみなんてものとは全く無縁で、食べている間も話を止めないし、口を指で拭いながら「もう一つ作って」と催促し、「駄目だ。時間がないんだぞ」と拒否されても「車で食べる」と言い張る。実際、車の中でハンバーガーをぱくつくのだ。
 その車に細工され、ブレーキが効かなくなる大ピンチの場面はもっと傑作だ。ブランチがキャーキャー騒いでジョージの体にまとわりつくものだから、運転しづらくなってジョージは焦りまくる。サスペンスの中のユーモアが、ヒッチコックは本当にうまい。
 バーバラ・ハリスは、魅力的なキャラクターが大勢登場するロバート・アルトマン監督の群像劇「ナッシュビル」でも断然光っていた。ハリスが演じたのは、歌手になりたくてナッシュビルにやってきた元気なおねえちゃんで、パツンパツンのミニスカートを履いて闊歩し、ストッキングに伝線が入っているのに全然気にしない。何があってもめげない、へこたれない。歌手になる夢に向かっての猪突猛進ぶりが爽快だった。活躍した期間が短かったのはなぜなのか不思議だ。

ルーサー・ホイットニー/1997年「目撃」


 ヒッチコックの映画を取り上げたからには、どうしてもクリント・イーストウッドについて書きたくなる。私が惚れ込んだという点で双璧だからである。イーストウッドの作品群からキャラクターの魅力に絞って取り上げるとしたら、まだ精力的に監督・主演していた頃の「目撃」だろうか(ダーティハリーは別格)
 映画は、大泥棒のルーサーが大統領の後援者であるサリヴァンの屋敷に盗みに入り、とんでもい事件を目撃するところから始まる。ルーサーにとって誤算だったのは、サリヴァン一家は家族旅行に出かけたはずなのに、なぜか若い女房、クリスティが大統領を連れて帰宅したことだ。大統領と出来ているクリスティは情事を楽しむために嘘をついてドタキャンしたのだ。ルーサーは二人の様子を観察しながら脱出の機会を窺う。すると、酔った勢いで乱暴を振るう大統領にたまりかねたクリスティがペーパーナイフで反撃し、ただごとではない物音を耳にして寝室に入ってきた警護官に射殺されてしまう。
 この状況で警察は呼べない。少し遅れて駆け付けた補佐官のグローリアば現場の証拠隠滅を命じ、事件のもみ消しを図る。その一部始終を見ていたルーサーは、みんなが出て行った後、窓からロープを使って脱出、事態に気付いた警護官の追跡を振り切ってからくも逃走に成功する。しかし、このままでは自分がクリスティ殺害の犯人にされかねない。国外に逃亡しようとしたルーサーだったが、空港のテレビで大統領が白々しくサリヴァンを慰めているのを見て気が変わる。
「人でなしめ。お前からは逃げんぞ」
 最高権力者を敵に回す無謀とも思える決断だった。この後、派手なアクションを期待させる展開だが、老境に差しかかり、体力的にきつくなっていたのか、イーストウッドは殴り合うこともなければ、銃を撃ち合うこともない。長年の泥棒稼業で培った経験と技能、そして頭脳で勝負するルーサーを飄々と演じていた。盗みの手口を分析してルーサーを割り出し、接触してきたセス刑事に「犯人はどんな人間だと思うか」と聞かれて雄弁に語る場面がいい。
「私のような年寄りだ。忍耐が要る。下調べが肝心だ。十分な調査が。テレビで見たが、あれはでかい屋敷だ。図書館に行き、記録を調べ、設計事務所を見つけて押し入る。設計図をコピーして朝までに戻す。盗むのは簡単だが、気付かれないことが肝心だ。建設会社、警備会社にも行く。大きな金庫室は必ず入る秘訣がある」
 にこやかに話す様子から感じ取れるのは、泥棒を楽しむ域に入っているのだなぁということだ。ぬけぬけと自分の手口を披露するのは、証拠を残していないから捕まらないという自信があるからであることは言うまでもない。怖いのは大統領である。実際、捜査状況を把握している側近たちはルーサー殺害に動き、サリヴァンも殺し屋を雇って復讐の時を待つのだが、ルーサーが絶体絶命の危機を乗り切る場面は鮮やかだった(未見の人のために書かないでおく)
 身を隠していたルーサーが姿を現したのは娘のケイトに会うためだった。ケイトは有能な検察官で、堅気になれない父親を嫌い、疎遠にしていたぐらいだから会いたいとは思っていなかったのだが、セスに協力を要請されてルーサーの留守電にメッセージを残した。そのメッセージをルーサーが何度も聞く場面は、娘への情愛が漂っていてちょっと泣ける。ケイトは、会いたいというメッセージが罠であることを父は気付くだろうと思っていたし、ルーサーは察していた。
 危機を脱した後、ケイトの家に現われたルーサーは、罠だと分かっていたのに約束の場所に来た理由を聞かれて「娘が会いたいと言ったからだ」と答える。当然じゃないかという口ぶりがユーモラスで、ここも情愛が感じられる場面だ。ルーサーは、どんなに嫌われても泥棒稼業から足を洗う気はなかった。娘に拒否されるのは仕方がない。だが、娘は可愛い。だから秘かに娘の成長を見守ってきた。そのことを、ケイトはセスに案内されて初めてやってきた父の家で知ることになる。部屋にはたくさんの写真が飾られていた。大学の卒業式、法学院の卒業式、初めての裁判で勝ったお祝い。父の愛を知ったケイトがセスに言う。
「昔、よく部屋に戻ると彼の来た気配がした。何かを見たり、冷蔵庫の中身を心配したり。馬鹿みたいだけど、いつも父がそばにいたみたい」   
 そう感じていたのは錯覚ではなく、ルーサーがケイトの家の冷蔵庫を開け、「もっとましなものを食べろ」と呟く愉快な場面がある。ケイトがルーサーの気配を感じていたのは親子の絆であろうか。「目撃」は上質なサスペンス劇だが、それ以上に父と娘の愛に心打たれる映画だ。
 ストーリーは、デイヴッド・バルダッチの原作とはだいぶ違うらしい。イーストウッドは原作の基本的なストーリーは気に入っていたものの、登場人物の大半が殺されてしまうのが不服だった。そこで、脚本のウィリアム・ゴールドマンに「観客に気に入られる登場人物は殺さないでくれ」と要望したという。イーストウッドの映画づくりにおける姿勢がよく分かる。今回、「目撃」について調べ直していてこのエピソードを知り、ますますイーストウッドが好きになった。