2019年3月1日金曜日

松村喜八郎《映画を楽しむ 6 ―我が愛しのキャラクター列伝④》


ブランチ・タイラー/1976年「ファミリー・プロット」


 アルフレッド・ヒッチコック監督の遺作に登場したインチキ霊媒師。冒頭、おばあさんの前で降霊術を披露する様子は、いかにも芝居がかっている。それでもおばあさんが信用してしまうのは、約40年前、妹が生んだ赤ん坊を養子に出したことを悔いていること、行方の知れない妹の子を探し出し、自分の財産を譲りたいと思っていることを言い当てるからだ。その情報は、タクシーの運転手をしている売れない役者の彼氏、ジョージが調べてきたことなのだが、完全に騙されたおばあさんは「妹は未婚で子を生んだ。うちのような名家にスキャンダルはご法度だった。極秘にその子を捜索してほしい。お礼に1万ドル払うわ」と申し出る。1万ドル! ブランチは、いいカモを見つけたなんて感情はおくびにも出さず、しれっとして言う。
「私への謝礼ではなく、私の慈善事業への寄付として受け取ります」 
 この言葉を真に受けたおばあさんの反応が笑える。
「あなたは無欲な人ね。裕福な自分が恥ずかしい」
 ブランチはジョージとともに1万ドルの子ども探しに奔走する。細い糸を手繰ってようやく行き着いたのは宝石商のアーサーだった。このアーサーがとんでもない奴で、恋人のフランと組んで富豪を誘拐し、身代金として高価な宝石を手に入れてきた。ブランチとジョージは、ちまちまとお金を騙し取る小悪党だが、アーサーとフランは卑劣な大悪党だ。ヒッチコックはこの二組のエピソードを交錯させながら、「泥棒成金」や「北北西に進路を取れ」のような、ハラハラドキドキとユーモアの混合した
サスペンス劇を作り上げた。未だ衰えぬ力量に感激させられたので、次作「ショートナイト」の準備中に亡くなったことを知って実に残念な思いをしたものだ。
「ファミリー・プロット」におけるユーモアは、ブランチ役のバーバラ・ハリスに負うところが大きい。ヒッチコックは彼女のデビュー作(日本未公開)を観て起用を決めたそうだが、その期待に応えて性欲、食欲ともに旺盛なブランチを生き生きと演じていた。ジョージにセックスのおねだりをする場面は傑作だった。
「どこへ行くの?」「家に帰って寝るのさ」「駄目よ」「それしか頭にないのか」「私に我慢しろと?」「たまにはいいだろ」「冷たいのね」「疲れてて君の役に立てない」「いつも役に立たないじゃない」「今夜は勘弁してくれ」
「ろくでなし」
 とにかくしつこくて、そこが可愛い。ジョージの作ったハンバーガーを食べる場面も愉快で可愛かった。淑女のたしなみなんてものとは全く無縁で、食べている間も話を止めないし、口を指で拭いながら「もう一つ作って」と催促し、「駄目だ。時間がないんだぞ」と拒否されても「車で食べる」と言い張る。実際、車の中でハンバーガーをぱくつくのだ。
 その車に細工され、ブレーキが効かなくなる大ピンチの場面はもっと傑作だ。ブランチがキャーキャー騒いでジョージの体にまとわりつくものだから、運転しづらくなってジョージは焦りまくる。サスペンスの中のユーモアが、ヒッチコックは本当にうまい。
 バーバラ・ハリスは、魅力的なキャラクターが大勢登場するロバート・アルトマン監督の群像劇「ナッシュビル」でも断然光っていた。ハリスが演じたのは、歌手になりたくてナッシュビルにやってきた元気なおねえちゃんで、パツンパツンのミニスカートを履いて闊歩し、ストッキングに伝線が入っているのに全然気にしない。何があってもめげない、へこたれない。歌手になる夢に向かっての猪突猛進ぶりが爽快だった。活躍した期間が短かったのはなぜなのか不思議だ。

ルーサー・ホイットニー/1997年「目撃」


 ヒッチコックの映画を取り上げたからには、どうしてもクリント・イーストウッドについて書きたくなる。私が惚れ込んだという点で双璧だからである。イーストウッドの作品群からキャラクターの魅力に絞って取り上げるとしたら、まだ精力的に監督・主演していた頃の「目撃」だろうか(ダーティハリーは別格)
 映画は、大泥棒のルーサーが大統領の後援者であるサリヴァンの屋敷に盗みに入り、とんでもい事件を目撃するところから始まる。ルーサーにとって誤算だったのは、サリヴァン一家は家族旅行に出かけたはずなのに、なぜか若い女房、クリスティが大統領を連れて帰宅したことだ。大統領と出来ているクリスティは情事を楽しむために嘘をついてドタキャンしたのだ。ルーサーは二人の様子を観察しながら脱出の機会を窺う。すると、酔った勢いで乱暴を振るう大統領にたまりかねたクリスティがペーパーナイフで反撃し、ただごとではない物音を耳にして寝室に入ってきた警護官に射殺されてしまう。
 この状況で警察は呼べない。少し遅れて駆け付けた補佐官のグローリアば現場の証拠隠滅を命じ、事件のもみ消しを図る。その一部始終を見ていたルーサーは、みんなが出て行った後、窓からロープを使って脱出、事態に気付いた警護官の追跡を振り切ってからくも逃走に成功する。しかし、このままでは自分がクリスティ殺害の犯人にされかねない。国外に逃亡しようとしたルーサーだったが、空港のテレビで大統領が白々しくサリヴァンを慰めているのを見て気が変わる。
「人でなしめ。お前からは逃げんぞ」
 最高権力者を敵に回す無謀とも思える決断だった。この後、派手なアクションを期待させる展開だが、老境に差しかかり、体力的にきつくなっていたのか、イーストウッドは殴り合うこともなければ、銃を撃ち合うこともない。長年の泥棒稼業で培った経験と技能、そして頭脳で勝負するルーサーを飄々と演じていた。盗みの手口を分析してルーサーを割り出し、接触してきたセス刑事に「犯人はどんな人間だと思うか」と聞かれて雄弁に語る場面がいい。
「私のような年寄りだ。忍耐が要る。下調べが肝心だ。十分な調査が。テレビで見たが、あれはでかい屋敷だ。図書館に行き、記録を調べ、設計事務所を見つけて押し入る。設計図をコピーして朝までに戻す。盗むのは簡単だが、気付かれないことが肝心だ。建設会社、警備会社にも行く。大きな金庫室は必ず入る秘訣がある」
 にこやかに話す様子から感じ取れるのは、泥棒を楽しむ域に入っているのだなぁということだ。ぬけぬけと自分の手口を披露するのは、証拠を残していないから捕まらないという自信があるからであることは言うまでもない。怖いのは大統領である。実際、捜査状況を把握している側近たちはルーサー殺害に動き、サリヴァンも殺し屋を雇って復讐の時を待つのだが、ルーサーが絶体絶命の危機を乗り切る場面は鮮やかだった(未見の人のために書かないでおく)
 身を隠していたルーサーが姿を現したのは娘のケイトに会うためだった。ケイトは有能な検察官で、堅気になれない父親を嫌い、疎遠にしていたぐらいだから会いたいとは思っていなかったのだが、セスに協力を要請されてルーサーの留守電にメッセージを残した。そのメッセージをルーサーが何度も聞く場面は、娘への情愛が漂っていてちょっと泣ける。ケイトは、会いたいというメッセージが罠であることを父は気付くだろうと思っていたし、ルーサーは察していた。
 危機を脱した後、ケイトの家に現われたルーサーは、罠だと分かっていたのに約束の場所に来た理由を聞かれて「娘が会いたいと言ったからだ」と答える。当然じゃないかという口ぶりがユーモラスで、ここも情愛が感じられる場面だ。ルーサーは、どんなに嫌われても泥棒稼業から足を洗う気はなかった。娘に拒否されるのは仕方がない。だが、娘は可愛い。だから秘かに娘の成長を見守ってきた。そのことを、ケイトはセスに案内されて初めてやってきた父の家で知ることになる。部屋にはたくさんの写真が飾られていた。大学の卒業式、法学院の卒業式、初めての裁判で勝ったお祝い。父の愛を知ったケイトがセスに言う。
「昔、よく部屋に戻ると彼の来た気配がした。何かを見たり、冷蔵庫の中身を心配したり。馬鹿みたいだけど、いつも父がそばにいたみたい」   
 そう感じていたのは錯覚ではなく、ルーサーがケイトの家の冷蔵庫を開け、「もっとましなものを食べろ」と呟く愉快な場面がある。ケイトがルーサーの気配を感じていたのは親子の絆であろうか。「目撃」は上質なサスペンス劇だが、それ以上に父と娘の愛に心打たれる映画だ。
 ストーリーは、デイヴッド・バルダッチの原作とはだいぶ違うらしい。イーストウッドは原作の基本的なストーリーは気に入っていたものの、登場人物の大半が殺されてしまうのが不服だった。そこで、脚本のウィリアム・ゴールドマンに「観客に気に入られる登場人物は殺さないでくれ」と要望したという。イーストウッドの映画づくりにおける姿勢がよく分かる。今回、「目撃」について調べ直していてこのエピソードを知り、ますますイーストウッドが好きになった。

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