2019年3月3日日曜日

志子田薫《写真の重箱 4─ 続 カメラのハナシ》

 皆様こんにちは。写真、撮ってますか? そして写真を見てますか?
 私はやっと少し肩の力が抜けたようで、以前ほどではないにせよ写真を撮ることが増えており、先日は久々に現像所へ顔を出して数本フィルムを現像してもらいました。同時進行でデジタルカメラでも撮影をしているのですが、この二者をまとめるのか、それとも別個のプロジェクトにして行くのかは未だ見えていないのがネックです。



 既に終わってしまった展示ですが、10月2日から7日の間[Roonee 247 fine arts]にて写真家 飯田鉄さんの『RECORDARE』という個展が開催されました。これは同名の自費出版写真集の発売記念的な意味合いもありました。
 飯田鉄さんは都市環境や庶民生活を被写体とし、写真集『街区の眺め』や寺田侑氏の詩とともに綴られた『まちの呼吸』、そして過去の写真展で昭和の残り香や都市の変遷を写真に封じ込めてきました。
 しかし今回は導入部こそ前出の流れを汲んだ建築写真が並ぶものの、その先は一見すると今までとはちょっと違う写真が並びます。自然が奏でる空気感や、人間若しくは自然が生み出した造形美を追い求め、むしろ「レンズ汎神論」や「使うライカレンズ」などの作例写真で垣間見られたような世界が広がっていました。デビュー当時の飯田さんをご存知な方は「彼が好き好んで撮っていたのはこんな感じだった」と仰っていましたし、ギャラリートークのゲストとして招かれた河野和典さん(元『日本カメラ』編集長で『レンズ汎神論』でもタッグを組み、現在は日本写真協会『日本写真年間』編集委員などを務める)からも「作家の目は一貫している」という言葉が。当の飯田さんも「こういうのがずっと好きなんです」と仰っていました。

 今回の作品が撮られたのはここ数年、2006年から今年4月までの写真。それもデジタルカメラで撮られた写真ばかりとの事。中には昨年のギャラリーニエプスでの個展「草のオルガン」で私が気に入った作品も展示されていました。

 飯田さんはカメラやレンズの作例写真家としても著名ですが、ギャラリートークでもその話が出てきました。前述の河野さんも飯田さんのことを、多岐に渡る(カメラやレンズ、アクセサリ類などの)機材への造詣が深く、その上で機材を活かす作例写真が撮れる数少ない写真家だと太鼓判。
 もちろんその為には膨大な量の撮影で培われた経験、そして機材やフィルムなどの知識との組み合わせから導き出される勘、そして想像力をフル回転させて(何しろフィルムは現像するまで結果が判りませんから!)一つ一つの作例を作り上げていったのでしょう。
 私はそんなノウハウの一端を直接吸収できた、飯田さんが教鞭をとられていた学校の生徒さんたちが羨ましく思えましたし、会場に来ていた学生さんやOBOGの楽しそうな顔を見て、更にその気持ちが強まりました。

 写真展は終了してしまいましたが、写真集『RECORDARE』は引き続きRoonee 247 Fine Artsで取り扱っているので、興味のある方は是非お手にとって見てください(表紙が赤と青の2種類で各150部、計300部限定)。
 表紙を開くと奥付(書籍の最後の方にある出版社や著者の情報が記載された「奥に付ける」頁)から始まるという不思議な装丁です。まるで現在から記憶を順に辿って行くような感覚で(実際には写真は時系列ではないのですが)ページを捲る楽しさがあります。



 さて、前回のメルマガの締めに、『写真家の方々は実際にどういったカメラを使って、どのような写真を生み出してきたのか。この辺に関して次回触れていきたい』と大風呂敷を広げてしまいましたが、これに関しては、一種パンドラの箱的なモノでして、しかもデジタルカメラに至っては昔以上にメーカーの思惑が見え隠れしているので、写真家個人が独断選んでいるかは微妙なところです。
 例えば、前出の飯田鉄さんは、趣味と仕事の両面で多岐に渡るメーカーの様々なカメラやレンズを使っています。
レンジファインダーカメラだけでなく、一眼レフ、ミラーレス等を巧みに操る飯田さん。
でもとりわけ、私にとっては飯田さんはニコンにフジ、そしてライカを使っている印象が強いですね。
しかもライカは初期のA型から最新のデジタル系まで、その時の仕事や作品作りに合わせて文字通り「使い分け」をされています。
 実は以前、私は飯田さんの「東京近郊の街を歩く」ワークショップに参加しておりました。そこでは、M型ライカをスッと構える所作や、ライカTL(当時はライカT)のタッチパネルタイプの(スマートフォンのようなフリックやピンチ、ズーム操作をする)液晶画面を、「苦手なんだよな」と言いながら、おっかなびっくり触っていたの印象に残っています。



 高梨豊さんは、沢山のフォーマット、そしてカメラの特性を生かして写真を撮っている、様々なカメラを使い分ける達人です。
 高梨さんは『ライカな眼』という本を出されている通り、普段はライカを使っていますし、秋山祐徳太子さんと故 赤瀬川原平さんの3人で“ライカ同盟”の名の下で活動されていましたので、そちらで高梨さんをご存知の方も多いのではないでしょうか。
 でも、高梨さんも決してライカ一辺倒ではなく、様々なカメラ、そしてフォーマットを使い分けています。もともと商業カメラマンという立場でもありますから、コマーシャルスタジオなどで使われていた蛇腹のフィルムカメラ、4×5や8×10は勿論、6×7や645などの中判フィルムカメラ、そしてもちろんライカなどの35ミリフィルムカメラを使うのですが、彼の場合、作品のコンセプトによってそのフォーマットをセレクトしているのが特徴です。

 1977年に出版された『町』という大判写真集(43.5×30cm)では、前作『都市へ』が35ミリフィルムのレンジファインダーカメラ、ニコンのS型やライカなどでのスナップ撮影でフットワークの軽さが中心だったのに対して、三脚に4×5のビューカメラを取り付けた状態で町を歩き、ワンカットワンカットを丁寧に、その事物を記録しているのが写真から伝わってきます。
 私も数年前に高梨さんを真似て同じようなスタイルで撮影したことがありますが、カメラ自体の重さはもちろん、それを支えられる三脚もしっかりしたものになりますし、道具も大掛かりになります。1カットを撮る際のお作法も35ミリカメラやデジタルカメラとは比べ物になりませんし、何より目立ちます。私は「不動産の人?」と訝しげられました(苦笑)
 でもそれで撮った写真は細部まで情報量のあるものになります。
 写真を「記録」として考えるのであれば、この情報量がとても重要になりますが、4×5に三脚ではフットワークが悪くなってしまいます。以前鎌田さんとのメール対談でも出てきた『都の貌』は、先ほどの『町』の後に出版されていますが、この作品は、夜の街中や室内の僅かな光で対象物をシャープに捉える必要もありつつ、フットワークを軽くする必要もあったため、35でも4×5でもなく、中判の6×7(マキナ67とW67)に三脚の組み合わせに変わります。
 現在同じようなアプローチをデジタルカメラで行うのであれば、5000万〜1億画素以上を持っている中判デジタルやシグマのsd Quattroなどを三脚に据えて撮る感じでしょうね。



 さて、今号では飯田鉄、高梨豊という「ライカ使い」な二人をピックアップして見ましたが、ライカといえば古今東西数多くの写真家の方々が使っていますし、カメラやフォーマットを広げれば様々なアプローチをしている方々がいらっしゃいますから、次回はもう少し突っ込んだ話を書いていきましょう。

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