2019年5月10日金曜日

松村喜八郎《映画を楽しむ8 ―我が愛しのキャラクター列伝⑥》



マレル艦長とシュトルベルク艦長/1957年「眼下の敵」


 4月半ばに久し振りの潜水艦もの「ハンターキラー潜航せよ」が公開される予定で、これがなかなか面白そうだ。潜水艦ものには名作が多く、その先駆けとなった「眼下の敵」は、南大西洋で繰り広げられる米駆逐艦と独潜水艦Uボートとの攻防戦の面白さもさりながら、両艦長のキャラクターがいい。駆逐艦の艦長がマレル(ロバート・ミッチャム)、潜水艦の艦長がシュトルベルク(クルト・ユルゲンス)である。

 貨物船の航海士だったマレルは、出航してから艦長室を出てこないため「船酔いなのさ。海軍も落ちたもんだ。民間人を送ってきた」と不安視されていた。その不安は、レーダーが潜水艦の司令塔らしきものを捉えてからの的確な指示で一掃される。マレルは、受信しやすいよう減速して追跡させ、レーダー影の進行方向が変わっても一定の進路を保つ。Uボートなら、相手も我々の存在をキャッチし、変針してみて敵かどうか確認するはずだ。変針に合わせて進路を変えれば潜航されてしまう。この推測どおりレーダーに映っているのは偽反射だろうと判断したUボートは浮上しての航行を続ける。

 一方、シュトルベルクは第一次大戦でも戦った古強者で、偽反射と決めつけるような無能な男ではない。それでも潜航しなかったのは水中航行では速度が遅くなり、48時間で僚船と接触して暗号書を受け取るという重要任務を果たせなくなるからだった。任務に忠実だからといってヒトラーを信奉しているわけではなく、むしろ批判的であることが、艦内の貼り紙“総統が命じ、我らは従う”を見る表情で分かる。シュトルベルクは信頼の厚い副長に言う。「この戦争に栄誉はない。勝っても醜悪だ」と。ユルゲンスには古武士のような風格があり、このキャラクターには適役だった。

 いつも眠っているような風貌のミッチャムも良かった。マレルには、自分の船が魚雷攻撃を受け、帰国させるために乗せていた新妻を死なせてしまったという悲しい過去があるのだが、ドイツ憎しの感情に凝り固まってはいない。軍医に「悲惨と破壊に終わりはない。頭を切り落としてもまた生えてくる蛇だ。敵は我々自身の中にある」と語り、激戦の最中でも沈着冷静だ。発見したUボートが急速潜航し、魚雷を発射してくることは確実なのにジグザグ航行をさせない。艦尾魚雷を使わせ、再装填している間に爆雷攻撃しようという作戦だ。いつ発射するかの判断を誤れば魚雷の餌食になる危険な作戦だが、「潜航に5分、潜望鏡深度に戻るのに3分、確認に2分、今から10分後に発射だろう」という読みが的中する。発射のタイミングに合わせて取り舵を切った駆逐艦の脇を魚雷が通過していき、間一髪セーフ。さぁ反撃開始だ。

 駆逐艦の艦長が容易ならざる相手だと知ったシュトルベルクは、爆雷から逃れるために我が艦の深度をつかませようとする。まず深度100に潜航し、爆雷投下の準備が終わった頃を見計らったうえで深度を150に変更。だが、マレルはそれを予期していた。敵がさらに潜航し始めたことを確認してから爆雷の深度を150に設定させる。爆雷投下。Uボートが激しく揺れ、艦がきしむ。この絶体絶命の危機を、何度も死線をくぐり抜けてきたシュトルベルクは見事な操艦で乗り切る。

 Uボートを見失ってもマレルは慌てない。再びUボートに遭遇できるであろう地点を航海士に計算させる。これまでの敵の動きから重要な任務を帯びていることを察知し、必ず進路を元に戻すと読んでいるからだ。計算した通りの地点でUボートを発見し、第2ラウンド開始。こんな調子で両者の攻防を書いていると長くなるし、観ていない人の興をそぐのでやめておくが、マイケル・パウエル監督の演出が冴えわたり、マレルとシュトルベルクが顔を合わせる場面の清々しも忘れ難い。シュトルベルクが敬礼すると、マレルも敬礼を返す。互いの尊敬の念がそうさせたのだ。

トッシュ・ハーン二等兵/1969年「燃える戦場」


ロバート・アルドリッチ監督の戦争アクションに登場した看護兵で、後にも先にもこんなユニークなヒーローはなかった。演じたのはマイケル・ケイン。その型破りなキャラクターは指揮官が作戦の内容を説明する場面で端的に示される。


 南西太平洋・ニューヘブリデス島の英軍基地。指揮官が米軍から派遣されてきた日本語に堪能なローソン大尉(クリフ・ロバートソン)を紹介し、1週間後に近くの海域を通過する米軍船団を守るため、島の北部にある日本軍基地に潜入して無線機を破壊してくるよう命じる。ローソン大尉が来たのは、無線機を破壊した後、持参した無線機で日本語の平常通信を行い、基地に異状がないと思わせるためだという。話を聞き終えてトッシュが手を挙げて質問する。

「ローソン大尉にもしものことがあれば、作戦変更もあり得ますか?」

 この発言に一同唖然。「もしものこと」とは死ぬことではないか。できれば危険な任務は回避したいという本音が透けて見える。作戦変更などあり得るはずもなく、指揮官は日本語の偽装通信は時間稼ぎであり、無線機を壊せばまずは成功だと話す。ローソンは、それなら俺を呼ばなくてもいいじゃないかと思ったはずだ。ローソンは戦闘経験がない。最前線から遠い基地で日本軍の無線を傍受するだけの日々を満喫していた。「お門違いだ。戦争好きなら他にいる」と、一度はニューヘブリデス行きを拒否した人物である。戦闘はまっぴらごめんという点でトッシュとローソンは似た者同士だった。

 だが、作戦が失敗して退却する途中、存在しないはずの空軍基地を発見してからローソンが変わる。このままでは船団が空襲に遭う。自分たちの無線機を失っているので、知らせるには基地に帰るしかない。部隊は日本軍の追跡をかわしながらジャングルの中を進む。すると、拡声器を使って英語で投降を呼びかける声。

「諸君が基地へ戻る気なら漏斗を通る水と同じだ。今どこにいてどの道を通ろうと、必ず境界線の前に出る。漏斗と同様、先細りの運命だ。基地に近付くほど我々の網は狭まる。この島の空軍には度肝を抜かれたはずだ。戻って報告したいだろうが、諦めてもらう」

 声は山口少佐。演じているのは高倉健。初めてのアメリカ映画出演だった。山口少佐が言う境界線とは、ジャングルを抜けた場所に広がる草原のことで、その先に英軍基地がある。草原では身を隠せないから銃撃を逃れることは極めて困難だ。山口少佐は、今すぐ全員が投降すれば、飛行機の存在が公然の秘密となる1週間後に釈放しようと提案する。何度もこの呼びかけが続き、心理的に追い詰められて投降しようと言い出す兵士が出てくるが、トッシュもローソンも山口少佐の言葉を信じない。違うのは、なんとしても基地に戻ろうとするローソンに対し、トッシュは北に向かおうと提案することだ。

「北に引き返して2日も寝てりゃ後は笑っておしまい。月曜の朝になれば敵は船を沈めるのに大わらわだ。俺たちを探すどころじゃない。のんびりと基地にご帰還さ。北は盲点なんだ。絶対に探しっこない」

 この逆転の発想に、ローソンは「放っておけば大勢の米兵が死ぬんだぞ」と噛み付く。それでもトッシュは「そりゃ何百人かはな。運が悪かったのさ。連中のためならやるだけのことはやった」と太々しい。血も涙もない人間とも言えるが、危険な戦闘を拒否する思想は一貫している。だから、仕方なく行動を共にして草原を駆け抜け、一人だけ基地に生還したトッシュは、あと一歩のところで銃弾に倒れたローソンを讃える。

草原に倒れているのは誰かと聞かれてこう答えるのだ。

「あれは…どえらい英雄です。日本兵を15人も殺した」

 自分が英雄になれば、有能な兵士として再び危険な前線に送り込まれかねない。これまでどおり臆病者と思われている方がいいと考えたのだろう。アルドリッチ監督は、トッシュに反戦思想を込めたのではないかと思う。

 ついでに書くと、山口少佐が立派な軍人として描かれているのがうれしかった。出てこなければ、内緒で投降してきた兵士を処刑すると言っていたのに、実際には銃声だけ聞かせ、ホッとする兵士に「本当に殺すと思ったか?」。健さんは、日本軍を悪く描いていない脚本だったから山口少佐役を受けたのではないか。後年、大ヒットした「ベストキッド」の空手の師匠としてオファーを受けたとき、自分に合う役ではないとして断わったという。ハリウッドから誘いがかかればダボハゼのように食いつく人ではなかった。さすがは健さん!

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