2019年5月11日土曜日

大竹誠《様々な時代の都市を歩く 8 —90年代の街を歩く1—バブルで散々いじり回された都市を離れて》


「都市の死」とともに開始された、「街づくり」


 飯田橋に事務所を構えた後の数年後。「千代田区街づくり協議会」へ参加することになった。飯田橋から神田神保町界隈は地上げの現場でもあった。古い長屋が底地買いされていた。「地上げ」。→知らないうちに地域を離れる地主、家主。「地上げ」の横行を「それは困る!」と訴える借家人。「地上げ」の実体を把握していない(把握していても知らんぷり)役人→ヒューマンスケールに富んでいる古くからの木造住宅や路地の草花を残したいと述べる人がいて、あれは困るという人がいる→テレビではそんな対比を紹介。「まちづくり協議会」でNHKテレビに出場も。事前に決められた人が決められたことの範囲語る虚しさ。司会者も他の人に話を振らない。→銀行では、土地を売った金持ちがソファにでんと座り、行員と親しげに話している。飯田橋を離れ、世田谷に住み出したと。「へえ~」そうなんだ。ショートケーキの美味かった店も閉店。歯こぼれ状の街が現れた。→そんな中で、飯田橋の古くなり汚れの目立つJR高架線下に壁画を描いたらとプロジェクトが始まる→いいだべい(飯田橋の壁ゆえ)と商店のご主人の提案。武蔵野美大の学生らの下絵+プロのペンキ屋さんによる壁画が生まれた。1000匹の大小クジラ群。スーパーグラフィック。まちづくりで行政がお金を出せるのは、公共の空間や、道路上だから、この手のプロジェクトは全国に広まり出した。

 そんな中、相模原駅の商店街の「カラー舗装化」の仕事がやってくる。相模原駅近くの「街づくり協議会」と一緒に考える仕事。商店街の活性化の提案。一つは、「道路のカラー舗装化」、もう一つは「ストリートファニチュアー」。「どんなカラーにする?」「どんな街路灯、どんな入口ゲートにする?」意見を聞いて、該当するであろうデザイン案を、外国の雑誌などから切り抜きパネルに貼りプレゼ。十分な時間がない中でのプレゼは、どこの事務所もこんな具合であった。→一応の提案をした後、打ち上げということで、「まちづくり協議会」の人たちと、箱根へ温泉合宿。嬉しいような面倒くさいような気分で。仕事にはこのような付き合いがついてくる。

 「トヨタ自動車」ディーラーショップの実態調査の仕事も舞い込んだ→東京、横浜のディーラーショップをめぐり歩き、問題点を探し出す仕事だ。ショップサイエンス(「環境計画」という会社が編み出した、店舗デザインの検証の研究書)の視点から調査分析。街の中にあるディーラーショップの見え方、ショップのデザインの形式などを、写真取材、図面化。大した提案ができるわけではないが、看板の見え方、周りの環境の中で目に立つ建物のありかたなどをレポート。その延長から、銀座「SONY」ビル2階のトヨタ自動車ショールームのリニューアルの仕事もやってきた。ビル内を歩いて回り、銀座の街も歩いた。銀座はギャラリーの街。そこで、ショールームの壁などを取り払い、オープン型ショールーム“TOYOTAギャラリーを提案。あのギャラリーは2階から車を入れる方式であった。→友人に誘われて。飯田橋から両国へ事務所引っ越し。同じ階に友人の事務所「E.T.プランニング」(東京の東に位置して、その立ち位置から都市を考えようと命名)、下の階に「現代建築思潮社」(『住宅建築』を発行)。「E.T.プランニング」との街の議論。東京都の政策で、都庁が新宿に移転。その界隈は建設ラッシュ。加えて、渋谷など東京の西側に大規模な資本が投下された。一方、頭部低地の下町は現状維持。ちょっと待ってください!東側には江戸以来の大衆文化が根付いている。それを忘れて東京の都市計画もないだろうと。東に拠点を置いて活動をしてゆこうと、両国に仲間が集まり出した(以降の東側には、「スカイツリー」「錦糸町駅界隈再開発」「すみだ北斎館」などが建てられたが)。「E.T.プランニング」といくつかの街の調査の仕事を実施。


再びヨーロッパへ(友人の会社「メディア・リンク」のツアーに参加)


 「電子ブック」を手がけるプロジェクトが始まった。紙に比べ電子メディアならば、生産にかかるエネルギーが少なくて済む。それが大メーカーを動かして友人の会社のビッグなプロジェクトとなった。「電子ブック」のパッケージデザインセクションとして参加。契約が結ばれたところで、ヨーロッパ研修ツアーをと繰り出した。→デジタルブックの研修先があるわけではなかった。そこで、最先端の話題のパリの施設などを織り交ぜて散策。→「パリの蚤の市」:高架線橋脚の下、ゴミと区別のつかない品物を売る人、壊れている玄関錠を売る人、靴の片方を売る人、通常の店では考えられない品物が並べられ売られる。文字通り多国籍な人たちが群れている。同行の仲間と「蚤の市プレゼント交換」。→「パサージュ都市」あるいは「博覧会都市」パリ:異なる建物をガラスの天蓋で覆い歩行者専用の街路ができた。ガラスのショーウインドー、鉄製の装飾柱、シャッター、照明、入り口アーチ、時計。パサージュからパサージュへの連続、接合→「科学都市ヴィレット」へ。屠殺場であった場所の再生。体験できる未来都市の感覚。徹底してキュービックな建物群。かつてあった水路の再生→ミュンヘン、ニュルンベルグへ。中州の科学博物館。原寸大の飛行機の陳列。夜のビヤホールへ。数百人がわいわいがやがやの大空間。両腕に1Lのジョッキーを45杯差し込み束ねて運ぶ店員。あちらこちらから歌が聞こえてくる。机に乗って踊る人もいる。日本のゲームを即興的に披露し、その場の人たちと戯れる(ちん!~ちょう!~ぶらぶら!そして、ちょう!~ちん!~ぶらぶら!というゲーム。「ちん」=両手合掌で人へ向ける。指された人は「ちょう」と誰かに向けて言うだけ。言われた人は「ぶらぶら」=片手で蛇が動くような動作で誰かに向ける。この繰り返しをしてゆくだけ)。大いに受けた。帰りは路上で小学生の集団に遭遇。すかさず『菩提樹』の曲を歌う。→「ニュルンベルグ」:古城の街。水路があり、金属細工のおもちゃが店頭を飾る→スイスの「ベルン」へ。思わぬ水の豊富な川辺の街。自転車が多く排気ガス対策を理解する市民。古い建物多く、古い噴水も多い。建物一階はアーケード、そして地下がある。そこは核のシェルターを兼ねたスペース。アーケードに並ぶ野菜には産地の名前が表示されている。チェリノブィリの不安の影か。この街はアインシュタインも住んでいた。→「インターラーケン」:リゾート地。ユングフラウヨッホ山へ。登山鉄道で展望台直下まで辿れる。そこは銀世界。Tバーで移動して、スキーができた。→「電子ブック」のパッケージデザインでは、当初は弁当箱ぐらいの厚さがあった。ハードウエアーがまだまだ圧縮できなかった。漫画の時代ゆえ、両面画面のボディも手がけた。FDに入れられた漫画が要画面に表示されると、一同歓喜の声!片手で操作できる薄型も製作される。現在のi-podと変わりはないデザインだった。使う機能を優先させればキーもほとんどないデザインとなるのは当たり前。その画面で、囲碁ソフトを表示しゲームしだす。そんなプロジェクトが獲得できたのは、やはりバブルだったのか。

香港へ(メディア・リンクのツアーに参加)


 九竜城址のスラム取り壊し寸前の廃墟、その前の道路の移動祭壇。取り壊されるのを惜しむ人の祈りの場か。隣接地の共同住宅もすでに激しい増改築が行われている。窓からは竿が突き出され、開口部での増築をあちこちで目撃。九龍城跡のスラムがなくなっても、香港は街全体がカオス。→市場。上海夜店通り、店舗の前に臨時の露店が店を開き、街を包み込んでいる。どこからどこまでが店なのか?重ね着のようだ。道路上で店を開くリアカー利用の店。チェックがあればいつでも逃げられる。→「女人街」「男人街」「スポーツ・シューズ街」など→ギャンブル都市マカオへフォーバークラフトで渡る。夜間、荒れ模様に中、船は速度を上げ、たびたびバウンドしては上下して疾走。並ぶギャンブルビル。ゲームセンターのようなスロットマシーン回廊。シークレット・ルームの静けさ、殺気。ルーレットにトランプ。→背の高い金網フェンスで四方を囲まれたダウンタウンの市場。鳥かごに詰め込まれたニワトリ。血を抜かれぶら下げられたニワトリ→高層ビルの真下に広がる屋台。ニワトリ、魚、カニが並ぶ。ランチに食べたスープには、鳥の皮つき脚と爪が入る薬膳→圧倒される看板。道路に深くかぶさる看板。縦書き、横書きと氾濫する看板。所狭しと並ぶ看板、負けじと大きさとデザインを競い合う。→半日、中国の経済特区である「深圳」へ。駅前は巨大な看板。マルボロもある。→パスポートチェックのお姉さんの放漫な態度。高座からパスポートを投げて返す。即席に建てられたような超高層ビルの下はバラック群が広がる。とにかく活気に満ちている。地方へ向かう長距離バスには、縞柄の旅行バッグをいくつも持った人の列。埃に満ち砂漠の中にできたような都市である。昼を取ろうとレストランへ。注文とともに、漢字をメモ用紙に書いて「醤油」を催促。ソルトで通じなかったが、漢字なら通た。お互いに笑顔。

再び「住宅情報」のグラビアページ企画。「住んでみたい街」のまとめ役として街へ



 バブリーな建物とバブルの波を受けていない建物の混在とアラベスク。気になるものの撮影、筆者が書こうとした視点----「住んでみたい街の隣の街に住む」「何かを使用とした時に訪れてしまう街」「都会の疲れを癒す街」「新旧の表情が混ざった街」「急行が止まらないから落ち着ける街」などなど。人が街をどのように捉えているのか?多彩な解釈があることの確認→写真家が撮ろうとしたもの、撮ろうとしなかったもの。現場の空気の読み方の写真家の違い。じっと待つ写真家。女子高校生を追いかける写真家。3時間でも撮れるまで歩く写真家。小一時間ではい終わりとなる写真家。→生活の痕跡、歴史の記憶、街の気分、目の前を行く人、植栽、猫、水、畑、空→「匂いのする街」「食をそそる街」「甘くけだるい匂いが漂う街」→流れる水、漂う水。凸凹の肌触り、つるつるとした肌触り→影のある街、影のない街。街の音がある街、無い街→歩きやすい街、歩きにくい街→ものがある街、ものが無い街→街の路上集積物から街を読む。この第二期は、56の街を歩いた。事務所へ戻り、二千分の一の縮尺の白地図(役所の都市計画課で入手)へ歩いた軌跡をはめ込み、ランドマーク、撮影地点など記入。同時に自分で撮影したポジも現像出し。

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