2019年7月16日火曜日

松村喜八郎《映画を楽しむ 10―クレジットタイトルに工夫あれ》

 今回はキャラクター列伝を休載させていただく。どうしてもクレジットタイトルのことを書きたくなったからで、そんな気にさせたのは、意外な大ヒットとなった「翔んで埼玉」である。この映画の満足度については、一番面白かったのが荒唐無稽な本筋とは関係ない夫婦喧嘩の場面(埼玉県人の夫に噛みつく千葉県出身の妻を演じた麻生久美子がコメディエンヌの本領を発揮してくれたのでニッコニコ)だと言えば察しがつくだろう。気に入ったのはエンディングクレジットに流れるはなわの歌だ。彼が人気を獲得した、あの佐賀県の歌と同じ趣向で埼玉県のことをおちょくる歌詞がおかしくて、館内が明るくなるまでの間、全く退屈しなかった。
こういう工夫はいい。
 エンディングクレジットが長くなったのはいつ頃からだろうか。リスクを軽減するために何社もの製作会社が連携するようになってからだと思うのだが、5〜6分も黒地に白抜き文字のタイトルを見せられるのは辛い。途中で席を立つ人がいるのも無理からぬところだ。あれだけのスタッフ、キャスト、協力会社等々を紹介しなくてはならない事情があるのだとしたら、せめて観客を楽しませる工夫をしてほしい。そういう映画に時たま出会えることがある。
 科白で楽しませてくれたのは、熊澤尚人監督の「おと・な・り」だった。隣りから聞こえてくる音で互いの人柄を想像していた男女、岡田准一と麻生久美子がようやく顔を合わせる場面で終わるラブストーリーで、エンディングクレジットの間に二人の会話だけが聞こえてくる。二人の姿は映らなくても、その後どうなったのかが分かる素敵なエピローグになっていた。
 逆に、科白のない映像で楽しませてくれた映画もあった。ジョエル・ホプキンス監督の「新しい人生のはじめかた」だ。娘の結婚式に出席するためロンドンを訪れた初老のCМ音楽家(ダスティン・ホフマン)と、婚期を逃した中年の女性(エマ・トンプソン)が交流を重ねるうちに惹かれあう。この二人が空港で出会い、共に不運な出来事に見舞われたことを嘆く場面が大好きだ。最初は互いに自分の方こそ不幸だと主張するのだが、ホフマンの話を聞き終えたトンプソンが「あなたの勝ち」と言って、もう自分の不幸について語ろうとしない。なんていい女だろうと感激したものである。それはさておき、エンディングクレジットは心憎いものだった。二人の交流とは関係なく何度か登場し、いがみ合っていた爺さんと婆さんが仲良くなっているのだ。それはホフマンとトンプソンの将来を暗示しているかのようだった。
 ドラマチックな締めくくりに活用していたのは、ジョージ・C・ウルフ監督の「サヨナラの代わりに」だ。筋萎縮性側索硬化症のケイト(ヒラリー・スワンク)と、彼女に介助人として雇われたベック(エミー・ロッサム)。境遇や考え方の全く異なる二人が友情を育み、笑いと涙を誘う感動の物語はケイトの死で終わるのだが、本当の感動はエンディングクレジットでやってくる。スタッフ、キャストの名前が流れる画面の横にはステージで歌うベックの姿。歌手になることを諦めていたベックが再び夢に向かって歩み始めたのだなぁと思って観ていると、カメラが足元をアップで映す。ラフな服装には不似合いなハイヒール。それはケイトからプレゼントされたものである。ベックはハイヒールを嫌っていた。それなのに履いた。この1ショットで、今もベックがケイトと強い絆で結ばれていることが分かり、グッときた。
 オープニングのクレジットタイトルにも物申したい。今は、いきなり本編が始まり、ストーリーを進行させながら主なスタッフ、キャストの名前を紹介していく手法が多く、タイトルを独立させている映画は滅多にない。たまにあっても、デザイン的に優れたものがないのは寂しい限りだ。
 クレジットタイトルだけでも楽しめたのは、ソウル・バスがデザインを担当した映画だった。グラフィックデザイナーとして著名だったバスは、オットー・プレミンジャー監督に依頼されて「カルメン・ジョーンズ」のタイトルを手掛けてから次々と斬新なタイトルを作り出した。私が最初に観たのは、ガンジー暗殺を描いたマーク・ロブソン監督の「暗殺?5時12分」である。BSやCSで放送されることもない映画なので自信はないが、丸い時計の文字盤と人物のシルエットが画面に現れ、秒針の動きがサスペンスを醸し出していたように記憶している。書体もスマートなものだった。なんておしゃれなタイトルだろうと感激したものだ。それがソウル・バスという人の手になるものであることを後に映画雑誌で知った。
 バスの手掛けたタイトルがどんなものなのか興味がある人は、アルフレッド・ヒッチコック監督の「サイコ」「めまい」「北北西に進路を取れ」を観ていただきたい。
 イラストや新聞の紙面、実写のモンタージュ、アニメーションなどさまざまな手法を使ったバスは、映画界に刺激を与え(007シリーズ初期のタイトルを担当したモーリス・ビンダーの仕事にはバスの影響が見て取れる)、タイトルに革命をもたらした。その最高作と言われているのは、オープニングとエンディングにアニメを使った「八十日間世界一周」である。とくに本編終了後に出る、ゲストスター紹介を兼ねたアニメの楽しさは最高で、本編より面白いとまで言われたほどだった。
 日本でも、かつてはタイトルデザインを重視した監督がいた。その代表格である市川崑のほか、勅使河原宏は「おとし穴」「砂の女」でグラフィックデザイナーの粟津潔を、篠田正浩は「夕陽に赤い俺の顔」でイラストレーターの真鍋博を起用したことがある。ただ、こういう流れが広まることはなかった。
 日本映画のタイトルで私が一番好きなのは「座頭市千両首」だ。漆黒の画面の左隅から座頭市が登場し、揉み療治の客を呼ぶための笛を吹きながら歩いていく。すると、右手から2人のやくざが現れて斬りかかる。これを居合い抜きの早業で倒し、何事もなかったように歩く座頭市。次に座っている座頭市を映す画面に変わり、前後から襲った4人のやくざが斬り捨てられる。こうした趣向で、座頭市とやくざとの斬り合いを見せながらスタッフ・キャストの文字が出る。常にバックが漆黒という視覚効果が素晴らしく、中でも画面の下に連なる黄色い三度笠を見せ、カメラがサッと引いて大勢のやくざが映る描写は見事だった。座頭市シリーズの6作目、居合い抜きの技に磨きのかかった勝新太郎の殺陣を様式美として表現したこのタイトルは、池広一夫監督と名カメラマン宮川一夫の共同作業で生み出されたものではないかと思う。森一生監督へのインタビューをまとめた『森一生映画旅』によると、宮川一夫は撮影方法についてアイデアを出すことがあったそうだ。
「座頭市千両首」はシリーズ中屈指の好編で、勝新太郎が実兄の若山富三郎(当時は城健三朗)と死闘を繰り広げる場面は大迫力だったが、タイトルだけでも楽しめる。 そんなタイトルがなくなって久しい。年寄りの愚痴と言われるかもしれないが、もっとタイトルに工夫してほしいと切に願う。

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