2019年9月1日日曜日

鎌田正志《杉浦グラフィズムの快楽と呪縛—DTPの夜明け 2》









杉浦康平、戸田ツトムといえば松岡正剛氏のオブジェマガジン「遊」のデザイン。最初にその雑誌を見たのはたぶん20代の半ばあたり、1981、82年ではなかったかと思います。コピーライターを目指していた当時の友人が工作舎で何か手伝いをしていて、「すごい雑誌がある」と見せられたのが最初だったような気がします。それ以前からその雑誌の名前は知っていたものの、何か近寄り難いものを感じていたのか、手に取ってみることはなかったように思います。(その当時、工作舎に関わっていた友人が何人かいて、その中の女性のひとりが執筆者でもあった、今では高名な博物学者の嫁になったりといろいろありましたが、それはまたいずれ)

その「遊」の創刊が1971年。臼田捷治氏の著書「工作舍物語」によれば、戸田ツトム氏が工作舎で仕事をするようになったのが1973年とあり、「遊」の7号あたりから本誌のデザインに関わられたようですが、私が戸田氏を強く意識したのは、新井敏記氏が編集及び発行人として1981年に創刊された雑誌「THE ISSUE」を手にしてからでした。「こんな無茶苦茶でかっこいいデザインをする人とはいったいどんな人なんだ?」と思っていたところに、そのデザインをしていた戸田氏が自らが編集人として、同じく1981年に隔月刊雑誌「MEDIA INFORMATON」を創刊。デザイナーが自分自身で雑誌を発行することに大変驚かされました。ちなみに新井氏の雑誌「THE ISSUE」はその後、現在ではメジャーな雑誌となった「SWITCH」へと進化していきます。

その新井氏とは友人関係の縁で何度かお会いすることがあり、どんな話をしたのかは覚えていないのですが、あるとき青山の古びたビルの、オフィスともショップともつかない不思議な、そしてかっこいい部屋でお会いすることがありました。そこにはXEROXで作られたと思しき抽象的な絵葉書が壁面に飾られていて、プライスタグも付いていたので販売されていたと思われるのですが、奥の部屋ではふたりの人が何か打ち合わせをされていて、その方たちが戸田ツトム氏と松田行正氏でした。お二人とも30代前半だっただろうと思います。(そのころ新井氏の新しく創刊する雑誌、たぶん「SWITCH」だろうと思いますが、そこに記事を書かないかと誘われたのですが、冗談だろうと思って断ったのが今となっては悔やまれますねぇ〜)

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