2019年9月1日日曜日

鎌田正志《杉浦グラフィズムの快楽と呪縛—DTPの夜明け 1》




このメルマガ『デザインの周辺……INSIDE AND OUT』に寄稿していただいている私の恩師でもある大竹誠氏の「様々な時代の都市を歩く」から刺激を受け、私自身のデザイン史を一度振り返ってみることにしました。そこにはもうひとつ、「今の時代のデザインが面白くない」と感じるのはなぜだろう…という、自分自身の疑問への回答を探したいという思いもあります(年齢的なこともあるとしても)。

杉浦康平という、現代日本のブックデザイン、エディトリアルデザインの頂点にある巨匠への憧れ、そして杉浦氏がいなければ日本のブックデザインの景色は全く違ったものになっていただろう、圧倒的な影響力をどう言葉にできるのか。またそこを出発点として、幸か不幸か本のデザインを生業にしていきたいと本気で思ってしまった切っ掛けとしての、戸田ツトム氏の仕事とその人となりへの思いについても書き留めておきたいと思います。

内容は時系列というより、私自身にとってエポックな出来事を繋いでいくことにしました。なので話は時代を前後すると思います。デザインヘの関わりそのものは70年代の終わりからだろうと思われますが、まずは今や当然のデザイン制作システムとなっているDTP(Desktop Publishing)についての話からスタートします。

冒頭に挙げた画像は1988年11月の『BRUTUS 192』(マガジンハウス)号の記事ページです。たぶん日本で最初にMacによるDTPで作られた商業誌のカラー紙面だと思われます(最初の見開き)。使用されたコンピュータはApple Macintoch II。出力機はライノトロニック300というイメージセッター。ソフトウェアはDTPという言葉を生み出したアルダス社のページメーカー。画像は演算星組というソフトウェア会社が販売していた「電脳絵巻」から読み込まれたもの。(付け加えておくと、Macの最初の専門誌『MacLife』は1987年に創刊されていましたが、紙面はDTPではなく従来通りの電算写植による印刷工程で製作されていました。但し、注目すべきはその創刊号だか、2号だかに杉浦康平氏のインタビュー記事が掲載されていました)

その下の見開きは当時のMacにバンドルされていたマルチメディアのオーサリングソフト「ハイパーカード」についての記事です。これは今で言うところの電子書籍(当時まだその言葉は作られていなかった)の元となり、「ハイパートーク」と名付けられた簡易なプログラム言語によって、テキストや画像、音声を合成したメディアを制作することができました。これもまた私にとって強烈な刺激となって「頭の中身を全部ここに外部化することができる」などと夢想したものです(実際に初期の電子書籍の実験をこれで作っていました。1990年くらいの頃です)。

ともあれこのたった4ページの見開きページこそが、少なくとも私にとってはデジタルによるデザインの最初の出会いであり、DTPによるデザイン制作の切っ掛けとなったものです。そしてこれからちょうど1年後に全財産をはたいて最初のMac、SE/30を購入することになりました(2メガのメモリーと20メガのハードディスクで50数万円しました)。20代の最後に買うつもりが、誕生日をちょっと過ぎて30代の最初に購入したと記憶します。私は当時、寝ても覚めてもこの2つの記事を眺めていました。DTPもマルチメディア(ハイパーカード)もまるで夢の様な話で、それが現実に手に入ることの興奮は、今のiPhoneやiPadの比ではなかったのです。

それから約30年、今も相変わらずこうしてAppleのMacでキーボードを打ち続けています。大げさにいえば、Appleという特異で魅力的なコンピュータ会社を生んだスティーブ・ジョブズという存在がなければ今の自分はなかったでしょうし(良かったのか悪かったのかそこは微妙ですが)、現在のようなグラフィックデザインの風景も存在しなかったかもしれません。

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