2019年9月7日土曜日

鎌田正志《杉浦グラフィズムの快楽と呪縛—DTPの夜明け 4》





折角なのでQTからもう一つ記事を紹介しておきます。65号(1986年)の奥村靫正氏の4ページに渡るインタビューです。じつはこの連載のタイトル「杉浦グラフィズムの快楽と呪縛」も、この奥村氏のインタビューが元になっていたんだと、今回あらためて気がつきました。掲載した図版は200dpiでスキャニングしてありますから、その気になれば全文読めると思いますが、連載タイトルにインスピレーションを与えてくれた部分を引用しておきます。

「…杉浦康平さんという大先生、神様がいらっしゃいますよね。だから文字にこだわっている人は皆、杉浦コンプレックスに陥っちゃって失敗するというところ行くと思うんですよね。でも、僕はある程度その辺から離れたところにずっといたから、僕の仕事に関して杉浦さんがこれはいいとかだめだとか評価できない、多分そういう仕事だと思うんです。…」

つまりこの時代、80年代の後半に杉浦グラフィズムの影響がどれほど大きかったかを、この言葉から感じ取れます。この言葉自体については奥村さんのプライドからなのか、若さゆえのいきがりだったのかはわかりませんが、ただこの言葉を発せずにはいられなかった現実が当時は濃厚だったという証ではあるわけで、当時、私自身もこの言葉に共感するものがありました。

にもかかわらず、奥村さんのデザインはMac導入後ますます日本的、アジア的な方向へ進んでいかれたように見えます。杉浦グラフィズムの影響ではないとしても、違う方向から杉浦さんと同じようにアジア的デザインへ向かわれたのが興味深く感じられました。

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