2019年1月2日水曜日

大竹誠《様々な時代の都市を歩く 1 —60年代を歩く 1―都市が意識化されだした時代》

映画『ウエストサイドストーリー』を見て街へ


 ウエストサードストーリーの身体へのあこがれ。大学に「ウエイトトレーニングクラブ」(WTC)が発足(1963年度ボディビルのミスターにっぽんの学生がいた。彼は、ビール『アサヒスタイニー』の広告モデル。)→そのNさんの指導でバーベルを持ち上げトレーニング。日増しに盛り上がる腕の筋肉を披露しあい、「WTC」のロゴ入りTシャツにバッシュー、ジーンズ姿で銀座通りへ。四丁目交差点あたりの歩道で、「さ~やるか」と、『ウエストサイドストーリー』でかっこよく歌われ踊る曲「Cool!Cool!」のパフォーマンスを模写演技。フィンガーチョップを鳴らし「Cool!Cool!」で両手上げで進む→その姿で帝国ホテルへ。お揃いの「Tシャツにバッシュー」を見たホテルドアーボーイに立ち入りを断られた→大学でのダンスパーティー(ダンパー)の流行。チケットを皆でつくり販売する。コンクリート床の広い講義室が会場だ。即席バンドの演奏に合わせて、マンボ、ジルバ、モンキーダンス、ツイスト、サーフィンダンス、モンキーダンス、ゴーゴー。とにかく身体を振った。そして、ラストはスローな曲でチークダンス。異性と身体と身体とが密に触れ合った。誰もがダンサーであり、誰もがバンドマンだった。母校ばかりではなく、他の大学のダンパーへも度々参上する。勉強などそっちのけだった。

服装の模写、模写をして街へ


 週刊誌『平凡パンチ』の表紙を飾る、大橋歩のイラストには街の若者の姿が描かれていた。そのイラストのファッションを真似た。髪型、ズボンの丈、スニーカーの形、手のしぐさなどを。イラストの若者が日に焼けていれば自分も日焼けさせた。づ太袋を抱えていれば、身の回りを探して米袋を代用。イラストは大橋歩と読者若者間の相乗効果があり、イラストにまだ描かれていない格好の若者が街に現れると、その若者たちが表紙を飾る。互いに披露しあう関係。銀座の「みゆき通り」はそのメッカとなった。昼間から通りには若者たちがたむろし、通り行く仲間たちに視線を送る。スリムなジーンズのポケットに両手を突っ込み、少し前屈みに、少し腰をくねらせながら歩く。頭はGIカット。チェックのシャツにジーンズ、バッシューの出で立ち。へんてこな服装が生み出される。暑い夏の最中に「ビニールのレインコート」を着る。白ばかりではなく、黒が流行れば黒が広がる。ジーンズの丈も短くなる。ショッキング・ピンク色の口紅、くるぶしまで隠れる長いタイトスカート、大きなサングラスなどなど。イカすやつらがたくさんいた。

ジャズを求めて“ジャズ喫茶”の街へ


 30軒はあった新宿のジャズ喫茶へ、競うように通う。「キーヨ」「DUG」。新宿ばかりではなく、渋谷の百軒店界隈、吉祥寺「ファンキー」、西荻窪へ。生意気にも一夜漬けで仕入れた情報からリクエストし、椅子のシートで体をくねらせる。周りの身振りを見ながら、首を振り、足で床を打つ。いつしか、バラバラだった動きが曲とあう時が来た。周りの身振りとも同調している。他者の身体が自分の体のようにも感じられた。陶酔の一瞬。リクエスト曲がかかっても、それがリクエスト曲なのか怪しげに聴いていた。そして、タバコと濃い珈琲の味。「Coffee & Cigarette」。仲間と入り、そして、一人でも入る。ジャズを聴く仲間と、授業が終わった午後、電車に乗って飯能まで行き、渓谷で飯盒炊爨。薪をひろい火をつける。飯が炊き上がるまでは川遊び。持参の三合の飯を完食。

東海道を自転車でツアー


 大学の夏季授業古美術研究会の帰り京都から日本橋までを自転車で帰ることに。そのために、脚力を鍛えようと大学近くでデパートの配達アルバイトを見つける。「大丸」のお中元品の自転車配達。国立市、国分寺市が配達エリア。坂の多い地区ゆえ大瓶ビール12本入ったケースの配達は、ハンドルを取られ苦労した。熱い最中、配達先のお宅で冷たいお茶などいただく。「そうか!」と、おねだりをするようになりジュースなどもちゃっかり。鍛えた足腰で研究会の地、京都へ。友人から借り受けた変速切り替えが2段の自転車は、目白駅から大阪梅田駅宛てに「鉄道チッキ」で送る。自転車を送った後、往路は、全日空整備員の中学クラスメイトの社員チケットを活用して伊丹空港へ。飛行機は登場間もないプロペラジェットのYS機。一週間の古美術研究会を終え、梅田駅で自転車を引き取り京都へ。宿の女中さんたちに見送られてポン友Nと自転車二人旅開始。道中、車から認識されやすいように、お揃いの深紅のTシャツに白い短パン姿。宿泊は東京までのルート沿いにある学友とか知人の家。一泊目は三重県津市の女子学友O宅。宇治川沿いを行く。真夏なのに水筒を用意していなかった。駅などで水を飲んだが、山にさしかかり水場がない。困った。ふと見ると宇治川上流で牛が水を飲んでいた。水は緑色だ。「牛が飲むなら毒はない」と判断して飲んだ。伊賀の里などを心地よく走らせ、夕刻、学友宅へ着く。幸いに下痢することもなかった。汗を流し、夕食をいただく。翌日朝になると、学友が道中を心配してくれて水筒を買ってくれていた。そのうえ、昼のおにぎりも。感謝!学友の家族の皆さんに見送られる。2日目はNの親戚がある名古屋まで。2日目になるとチンチンが痛い。慣れない山道を数十キロも走るなかで圧迫されたからか。名古屋の道路は広かった。伊勢湾台風で大きな被害を出した後の道路拡幅らしい。Nの親戚の理髪店は100メートル道路沿いにあった。3日目は、静岡県磐田市の学友Oの家まで。4日目は、浜名湖を眺めながら静岡へ。浜名湖湖岸の道路は幅狭く、トラックの風圧で自転車ごと飛ばされそうになる。静岡市西草深で牧師をしている伯父の家まで。五右衛門風呂に初めて入った。昔、静岡で布教をしていた外国人牧師が暮らしたという牧師館も見学。バンガロースタイルの木造建て名建築。5日目は、箱根越えは登りがしんどいかなと、伊豆半島の小浦へ。ここには大学が夏季の間、借りている民宿がある。伊豆半島を沼津から南下すると道路が悪い。泥道、砂利道、急坂、湾曲する道で自転車が思うように漕げない。暗くなり出しても子浦の、3つも4つも手前の山の中。通りかかったトラックの荷台へヒッチハイクとなる。トラックの運転手さんは「このあたりは蝮の多い所だよ」と言う。小浦の砂浜で民宿利用の学友らとウクレレで「可愛いベイビー」を歌い、テントで一泊。6日目は、平塚の学友K宅まで伊豆半島東側を行く。学友の父親から「本は本屋で立ち読みだよ」とアドバイスされる。7日目は、東海道の起点、日本橋を目指す。お金を使い果たしていた。日本橋で歓喜のビールとゆきたいところだが、水筒の水で乾杯!!!6泊7日の東海道ツーリング終了。

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