2019年1月31日木曜日

松村喜八郎《映画を楽しむ 4 ―我が愛しのキャラクター列伝②》


チャーリー・バリック/1973年「突破口!」


 ドン・シーゲル監督が「ダーティハリー」に続いて放った快作の主人公である。田舎の小さな銀行ばかり狙う強盗団のボスを名優ウォルター・マッソーが演じた。なーんだ、小悪党の話か、マッソーじゃ颯爽としたアクションも期待できないなぁと馬鹿にしてはいけない。チャーリーは、多くのギャング映画に登場する主人公のように腕っぷしが強いわけではないが、したたかな図太さと卓越した頭脳がある。大金を盗めば警察が必死に捜査するから逃げ切るのは難しい。だから一攫千金の大勝負はせず、地道()に稼ぐ。それがチャーリーのポリシーだ。実際、それで成功してきたし、ニューメキシコ州のウェスタン銀行トレス・クルーセス支店にもたいした金はないはずだった。ところが、隠れ家に帰って盗んできた袋を開けてみると、入っていたのは100ドル札ばかりで、量も多い。少なくとも50万ドルはありそうだ。それなのに、テレビでは被害額が2000ドルと報じている。
 長年、裏街道を歩いてきたチャーリーはすぐにピンと来た。これはマフィアの隠しがねだ。マネーロンダリングするため国外に送金する寸前だったに違いない。えらいことになった。マフィアは絶対に諦めない。どこまでも追ってくる。知らなかったんです、お金は返しますと言ったところで許してくれる連中じゃあない。思わぬ大金を手にして単純に喜ぶ相棒ハーマン(アンディ・ロビンソン。あの「ダーティハリー」の凶暴かつ狡猾な殺人鬼〝さそりである)をたしなめるように呟く。
「奴らに裁判などない。死ぬまで狙われる。FBI10人の方がマシだ」
 さぁ、どうする。チャーリーは必死に知恵を絞る。一方、マフィアは屈強な殺し屋、モリーを差し向けてくる。優しいタフガイといった風貌だが、情報を聞き出すために車椅子の老人を平然と押し倒すような男だ。声を荒げて凄んだりしないのがかえって怖い。モリーは裏のルートを手繰って隠れ家を探し当て、まずはハーマンを血祭りにあげる。とうていチャーリーが勝てる相手ではない。倒すことができたとしても、別の殺し屋に追われる。進退窮まったチャーリーはアッと驚く一手を打つ。
 ウェスタン銀行の頭取はマフィアの一員に違いない。頭取を罠にかけてやろう。そのためには秘かに頭取と接触しなければいけない。チャーリーは、まず本店に電話を掛け、頭取の秘書がフォートという名前であることを突き止めた後、道路上で花を売っていた少年からバラを買う。これが計画の第一段階だった。チャーリーが銀行の前で見張っていると、受付の男が退社しようとする女性に「フォートさん、贈り物です」と花束を渡す。あの女だ。チャーリーはフォートを尾行して家に押し入り、頭取と連絡を取るよう迫る。実に頭がいい。
 冒頭の銀行襲撃でも頭の良さが発揮されていた。用意周到なのだ。老人に化けたチャーリーが女房の運転する車でやってきて銀行の前に停める。折悪しくパトカーに遭遇しても慌てない。駐車禁止だと告げる警官に包帯を巻いた足を見せ、小切手を換金する間だけだから見逃してくれるよう頼みこむ。警官が難色を示すと夫婦喧嘩を始める。「裏書すれば私が換金してくるのに」「これは私の小切手だ。余計な世話を焼くな。年寄りじゃない」「誰も年寄りだとは」「言ってるだろ」。本物の夫婦だから様になっていて、うんざりした警官が「もういい」と立ち去る。してやったり。
 ただ、計算違いだったのはこの警官が結構優秀だったことで、金庫を開けさせている間に盗難車であることを突き止められてしまう。なんとか逃げ延びたものの、銃撃戦で深手を負った女房は隠れ家に着く前に息絶える。ここで取り乱さないのがチャーリーの強さだ。哀しみを表に出さず、警察の目をくらませるための行動に移る。常に沈着冷静だ。ハーマンの血まみれ死体を見たときでさえ、無表情に「自業自得だ」と呟く。無慈悲とも思えるこの言葉には自分自身に向けられたような響きがあった。悪党の末路はこんなものか、自分もいずれは。女房と相棒を失っても涙を見せないからといって、チャーリーは非情な男ではない。ユーモアに富んだ人間臭い男だ。マッソーがジャック・レモンと共演した傑作コメディ「おかしな二人」や「フロント・ページ」で見せたとぼけた味わいにチャーリーの魅力がある。それが堪能できたのは、頭取と会う段取りをつけた後の秘書との絡みだ。
 ラブホテルみたいな円形のベッドに目を止めてチャーリーが言う。
「丸いベッドに寝たことないんだ。一番いい方角は?」
「気分次第よ」
「磁石は要らないか」
 この後、二人はベッドインして何度もセックスしたらしく、チャーリーに「もう寝ろ」と言われた秘書が「これで最後?南南西の方角がまだよ」。なかなか傑作なキャラクターで、「私が言うのもなんだけど、あの人は信用できないわ」と忠告するぐらいだから、頭取の裏の顔を知っているのは確かだ。それなのにチャーリーと関係を持った。男顔負けの度胸と言うべきか。可愛いところもあって、「死なないで」とチャーリーの身を案じる。普通ならしんみりした雰囲気になる場面だが、チャーリーが「なるべくな」と答えるので爆笑した。
 チャーリー・バリックという人物のユニークな個性とシーゲル監督のアクション演出の冴え(小型飛行機を車が追うクライマックスシーンがスリリング)が相まって見応え十分、ニコニコしながら劇場を出たものだ。

グロリア・スウェンソン/1980年「グロリア」


 ニューヨーク・インディーズ派の監督でもあった俳優、ジョン・カサヴェテスが手掛けた唯一の娯楽作の主人公で、愛妻ジーナ・ローランズの大姉御的な魅力を存分に引き出していた。一般受けしない映画ばかり撮っていたカサヴェテスは、その気になれば娯楽映画を撮れるのだということを証明するために「グロリア」を撮ったと語っていた。ビル・コンティ作曲のむせび泣くようなテーマ音楽に乗って、ニューヨークの夜景を空から移動撮影していく魅惑のファーストシーンに始まり、マフィアに狙われている6歳の少年を連れたグロリアの逃走劇を快調に描く手腕はお見事! これでベネチア国際映画祭金獅子賞を獲得した。一本だけと言わず、時たまこういう映画を撮ってくれないかなぁと思っていたのだが、その願いが叶わなかったのは本当に残念だ。
 グロリアがマフィアに追われる羽目に陥ったのは、最悪のタイミングで仲のいいジェリを訪ねたからだった。ジェリの夫は組織の会計係で、お金を横領したばかりか情報をFBIにたれ込んだ。それがバレて組織の手が間近に迫っているという。間違いなく私たちは殺される。せめて子供だけは助けたい。グロリアは子供嫌いなのだが、ジェリの必死の頼みを断れなかった。父親は組織の情報を書き込んだ手帳を息子のフィルに託す。万が一のときは役に立つと考えたのだろうが、むしろ危険を増大させることになった。裏切者の一家を惨殺したマフィアは、ひとり生き延びたフィルと手帳を求めて執拗に追ってくる。
 グロリアは堅気の女ではない。犯罪歴があり、ボスの情婦だったこともある。マフィアの怖さは誰よりもよく知っている。それに、預かってはみたものの、やはり子供は苦手だ。だから、一度は追い払おうとした。しかし、体にしがみつくフィルともみあっているところを発見されてしまう。「グロリア、お前に用はない。欲しいのはガキと手帳だ」と言われても、さすがにスンナリ引き渡す気にはなれない。男の仕種に危険を察知したグロリアは、いち早く銃を取り出して撃つ。やってしまった。もう後へは引けない。グロリアは逃げる。警察には行けない。ニューヨークのあらゆる場所にマフィアの目が光る中で孤立無援。頼れるのは己の才覚と度胸のみ。グロリアは「女を殺したんじゃ後味が悪い」と躊躇する男たちの先手を打つ「殺られる前に殺る」作戦で危機を乗り切っていく。レストランで数人の男を発見したときは自分から近付き、銃を突き付けて手帳を見せながら挑発する。
「これが欲しいんだろ。命が惜しけりゃ取引しよう」
「取引だと?返事はできん。タンジーニさんと相談を」
「ボスと相談?馬鹿揃いだね。あの子は私の手にある。家族殺しの生き証人よ。弾を抜いてバッグに。早く入れる!」
 地下鉄の車内で男が迫ってきたときも先手必勝だった。グロリアはいきなり男を張り倒す。カッとした男がグロリアを殴り飛ばす。驚いた乗客たちがグロリアを助け起こし、男を取り押さえる。この機に乗じてグロリアが銃を構え、「上等だ。おいで」と手招きする。男が怒りの形相でグロリアを睨む。電車が駅に着く。グロリアは後ずさりしながら電車を降り、なおも男をからかう。
「女に殴られて平気なの?腑抜け!チンピラ。消えろ!」
 そしてドアが閉まると同時に走り出す。ホレボレするカッコよさだった。なんとも男っぽいのだが、いつもおしゃれに気を配る女っぽさも素敵だ。大急ぎで家を出たのでバッグには数着の服しか入っていない。それでも上下を着回しして変化を付け、ホテルの浴室で服に蒸気を当てて皺を伸ばす。逃げるのに好都合なのにペタンコ靴は履かい。いつもハイヒールだ。そんなグロリアが次第に母性愛に目覚めていく姿が的確に描写されていて、最後はホロリとさせられる。グロリア・スウェンソン。これまでに映画で出会った最高にいい女である。

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