2019年1月30日水曜日

志子田薫《写真の重箱 1 —はじまりに寄せて》

 皆様、初めまして。志子田薫(しこだかおる)と申します。
 自分は別に写真のプロでも評論家でもなく、ただ世間一般の方より少し「写真」というジャンルが好きなだけの四十も半ばを過ぎた冴えない男です。
 写真展や写真集を観るのも好きですし、自身で写真を撮るのも、グループ展、企画展で展示するのも好きでして、僭越ながら個展の経験もあります。
 その関係から、有名無名を問わず様々な写真家さんたちとも親しくさせていただいております。この連載のきっかけとなった「ガード下学会」の入会も、同会の会員である写真家の飯田鉄さんからのお誘いでした。
 そんな自分が何の因果か、これから写真にまつわるよしなしごとをそこはかとなく書き綴ることになりました。

 皆さんは普段、どういう形で写真と接していますか?
 改めてそう聞かれると、ちょっと考えてしまう方もいるでしょう。
 世の中には写真が溢れ返っています。意識しなくても、身の回りにあるものです。
 デジタルカメラやスマートフォンの普及で、一億総カメラマン時代。特別な意識を持たなくても、生活の一部に写真が入り込んでいます。
 プライベートでは自撮りや○○映えな写真を撮りまくり、SNSで共有、会社ではプレゼンの資料や、送られてくるメールの添付書類にも写真が使われている。
 勿論それだけではないですね。街に出ればちょっとした広告や、店頭のPOP、屋外看板、電車の中吊り広告……
 そんな「写真」という世界が作り出している【重箱】の上の段を眺め回したり、下の段を中の段と入れ替えてみたり、隅をつついたり、中身を並べ替えてみたりしちゃいます。
 いつまで続けられるかわかりませんが、どうぞよろしくお願いいたします。



 自己紹介代わりに、自分と写真との関わりについて記しておきますね。
 そもそも自分と写真との馴れ初めは、小学校の頃からだったと思います。父親が持っていたA社の一眼レフカメラに興味を持ち、中学時代には写真部の暗室に篭ってモノクロ現像をしていました。
 高校時代には、父親にせがんでF社のオートフォーカス付き一眼レフとズームレンズを買ってもらい、その後カメラマンだった叔母から入学祝と称して使い込まれたC社のフルマニュアル一眼レフを譲り受けました。
この時点で自宅には互換性のない3社のカメラが揃うことになり、これが後々まで自分を悩ますことになります。
 高校では写真部の部長まで務めますが、とある事件をきっかけに撮影が嫌になり、そして大学受験も重なって写真の世界から遠ざかり、いつしか過去のものになっていきました。

 その後社会人になって数年経ち、デジタル一眼レフカメラの普及機が出始めた頃、元々PDA※を使うユーザーの集まりの中で特に写真が好きな仲間たちが集まって、仲間内で撮影に出かけたりしていました。
※PDA:Personal Digital Assistant (パーソナルデジタルアシスタント)の略称。一般的には現在のスマートフォンの源流となった電子手帳のようなものを指します。

 この頃は写真展を観に行く行為も、写真家と呼ばれる方々がいることもあまりよくわかっていませんでした。篠山紀信とアラーキーは知っていましたが(笑)
 というのも写真部では写真家や写真論の話はあまり出ず、和気藹々と自分たちで写真を撮っては現像することがメインだったのです。写真展も一度だけ、高校時代に顧問に連れられて正式開館前の東京都写真美術館に訪れたことはありました。ただそれは国内ではなくアメリカの風景写真が主だったので、【写真の記録性】しか記憶に残りませんでした。今観たらもっと違う発見があるでしょうね。

 そんな中、2005年の忘年会で友人が見せてくれたのが、リコーが出したコンパクトデジタルカメラ「GR DIGITAL」でした。何となく凄いカメラだという噂は知っていましたが、実際にそれを見、触らせてもらった時にものすごい衝撃を受けました。写りの良い単焦点レンズ、目の前を切り取ることだけに特化したカメラ。これこそ自分が欲しかったものだったのです。

「おいおい、GRならフィルムカメラもあるじゃないか。リコーだけじゃない。コンタックス、ミノルタなどから出た高級コンパクトカメラが一斉を風靡した時代があるだろう」と思われる方もいらっしゃると思います。はい、その通りです。しかしながら自分はちょうどその頃「写真」から離れていたのでそのブームを全く知らなかったのです。その頃学生時代からの友人が「薫ぅ〜、見てくれよ! T2買っちゃったよ! ツァイスだよツァイス! 凄いだろ〜」だとか「NikonのTi28買っちゃった! 上に付いてる針がカッコいいでしょ!」と話していましたが、写真に戻ることはないと思っていた自分にはあまり引っかかりませんでした。

 だから、GR DIGITALを見た時に、その頃の友人達が話していたことを思い出し、しかもそれがデジタルで蘇ったというのが自分の中で引き金になりました。
 GR DIGITALを買い、そこで、田中長徳と森山大道という二人の『写真家』を知ることになったのです。それと前後して、自分が今まで撮ってきた写真のジャンルが所謂スナップに入ることを知りました。二人の写真家もスナップを得意とするので、彼らの作品によって、自分はあっという間に写真の世界に引き戻されました。

 それと前後して、PDA仲間がギャラリー巡りを提案してくれ、そこで出会ったのが鬼海弘雄という写真家でした。
「ぺるそな」と題されたその写真展では、何十年と浅草の同じ場所で市井の無名な人々を正面から真っ直ぐに撮影している写真が並んでいました。
 写されている人たちの個性もさることながら、何より驚いたのは淡々とその方達を撮影して、発表し、写真集を作るという行為そのもの。そんな写真家に興味を惹かれたのです。

 氏の写真を観て、あることに気がつきました。
「発表される『写真』とは、第三者のためのものだけではない。世の中に必要とされるものだけが写真ではない」ということです。
 それまでの自分は、例えば写真部では学校の行事を撮影した記録写真はオープンにしていましたが、個人的に撮ったものは文化祭の時にしぶしぶ出しただけで、基本的には仲間内で見せ合う、言わば趣味の範疇で終えていたのです。

 写真も芸術も、趣味を超えたところに新たな道がある。
 そんな単純なことに気づかされたのでした。

 鬼海氏の写真に関しての詳細はここでは触れませんので、ご興味のある方は是非一度写真集をご覧になってください。

 そしてここから私と写真との新たな、しかも退っ引きなら無い関係性が始まったのです。
 この関係性については、文書の絡みでおいおい書くことになるかもしれませんが、このメルマガでは私個人の写真や人生を紹介するわけではありません。私が観てきた昨今の「写真」を取り巻く環境や、ちょっとした裏話などを織り交ぜながら、気になった写真展や写真集の紹介などを書こうと思います。

 それでは次号でお会いしましょう。

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