2019年1月22日火曜日

大竹誠《様々な時代の都市を歩く4 —70年代を歩く―地方の都市へ、都市の祭りへ、広場論へ。そして「京島」へ》

国道を車で


 雑誌『都市住宅』(鹿島出版会)に遺留品に遺留品研究所として寄稿。題して“構えとしての表現”。そして、連載「イルテーション」の開始。「イリュージョン」(幻覚)と「ノーテーション」(記譜)を重ねて考え出した合成語。「イルテーション」のネタを探しに九州へ。→川崎からフェリー“サンフラワー号”。夜中になったころ、それまで停滞していた九州沖の台風が突如高速で動き出す。船は大揺れとなり、多くの人が酔う。魚河岸のマグロのように横たわりダウン。風呂に入るとお湯が30cmもの落差で波打つ。階段を通るにも左右の壁にぶつかる。恐る恐るデッキへ。フェリーが隠れるぐらいの大きなうねり。暗闇に船からのライトが光る。船はコースを変えて神戸港へ。→朝の食事はすべて無料、そして船長以下スタッフ全員に見送られて下船。料金はすべて返却された。しかし、神戸から九州まで、倉敷に一泊、唐津で一泊と返却された分の費用が出た。→国道沿いのドライブインの「キッチュなデザイン」。屋上に載せられた「実物の古飛行機」、「大屋根にペイントされた巨大文字・マーク」、「ドライバーの目をキャッチする巨大看板」→地方都市で出会った、「民家」、「酒屋の看板・漆喰レリーフ」、「土蔵」、「ホーロー看板」。「黄色に塗られた鳥居」。「バーバー・東京」と「サンセリフ体で書かれた看板」。「モーテル70」などロード看板。→ここでも、街の多彩、雑多な表情に圧倒され、大学で学んだことや、デザインの本から学んだことでは対応できないものがあることを知らされる→「還元不可能」性の発見。あるいは見たものをそのまま受け入れること。→しかし、“国道(準規=コードがあるだろう)”の中だけにいたのかもしれないという認識も。

相馬の「野馬追い」へ / 山林での馬追いを見る。


 街にたなびく旗、旗。旗の色や柄の斬新さ。丸あり、三角あり、雷柄あり、はねる馬あり、モダンデザインとは違う迫力→目立つこと、勢いを感じさせること、風に揺られても誰だかすぐの分かることが追求されていた→旗を背中に差し入れ馬で崖を駆け上がり、草っ原で打ち上げられた神旗の「争奪戦」は、旗が主役のはためく場であった。真夏の祭り、気温は38度を超えていた。→隣町では前夜の花火大会。花火一つ一つに「提供○○○商店」とアナウンス入りで打ち上げられる花火。地域の誉れの演出なのだった。

秩父の夜祭りへ


 3ヶ月前から秩父や近隣の街へ通いだす。祭りを前に、変容する街の空間。少しずつお化粧をしだす街。→倉から山車を出して、桐箱を開けて飾り物を組み立てる。何日にも渡っての組み立て作業→街の中に響く鳴りものの練習→「祭り用白菜」、家の障子の張り替え、練りまわる山車の侵入を防ぐための紅白のバリケード丸太の設営、サーカス小屋の設営、斎場(祭りのクライマックスで祭り屋台が集まる聖なる場)の観覧席の設営、祭り屋台をあしらった記念タバコの発売、臨時電車の時刻表たれ幕、臨時につくられたお旅所など→街に流れる秩父音頭の曲、着飾った人びと、口紅をさして鼻筋を化粧した稚児→山車の曳き回し、山車を道路中央に置き左右の民家を舞台袖にした“町民歌舞伎”→斎場に打ち上がるクライマックスの冬花火→色めく街、色めく素材、覚醒する街、一晩経っても耳に残る鳴り物の音、思わず身体が動いてしまう軽妙なリズム→劇場としての都市の有り様。

広場の調査


 よく使われている広場の条件を探しに。ジェイン・ジェイコブズの『アメリカ大都市の死と生』を台本にその視点から調査。東京都の美濃部都政の調査の一つ。→広場を囲繞する建物、施設のあり方が広場の機能に影響を与える→広場の持ち主、あるいは広場を管理する人(主体)の管理条件によって広場は生きもするし、死にもする→広場のデザインとはそのような、ありうべき活気ある広場の空間的条件、主体的条件、機能的条件のすべてをデザインすること→あるいは、新宿西口地下広場のように、利用者が「フォーク広場」として使用してしまうこと。広場という空間をつくっただけで広場となるのではないこと。→ありうべき条件の複合化→ともかく広場として見立ててどんどん使ってゆくこと、その動きを規制しないこと。動きの中から次の行動を発生させること、そのような仕掛け。

墨田区京島地区実態調査で京島へ


 一つの街を二年かけて「悉皆調査」する。すべての路地を、すべての建物を見て歩く→歩いて得たデータをマップ上に落としていく→「建物の木造・非木造分布マップ」「建物用途別業態マップ」「駐車状況マップ」「危険物貯蔵所マップ」「歩行者・自動車流量マップ」など→これらのマップ化作業によって住商工が混在し、人口密度の高い東京下町の組成を学習する→もう一つのマップ化:京島の成り立ちを、江戸時代から、明治、大正、現代までの何枚かの地形地図から読む→銀座線地下鉄工事から出た残土を湿地(浮地と呼ばれていた)に埋めた時代、関東大震災後の住宅が立て込みだす時代、奇跡的に戦災を逃れた時代、その後の過密化時代など都市のダイナミックな変化が図像として了解できる体験→そして、京島らしさの学習:「関東大震災後に越後の大工によって建てられた木造長屋」。「路地を前庭として活用する暮らし」。「老朽化した木造建築が多いゆえ、火災に対する意識が高く、煙を見て火事か焚き火かを見抜く達人もいる」。また、「たむろして煙草を吸うことがないようにと、夜間の暗闇を無くそうとする人がいる」。→街に響くめりやす織り機の音、玩具政策のプレス機の音。路地に数十ある駄菓子屋に群がる子ども。毎日、祭りのように賑わう「橘通り商店街」→地区の建物の変遷の要因:生活の拡張、開口部の修理、所有関係の変化による建物の改築。改築にふさわしい素材→木材、ブリキ、塩化ビニール波板、アルミサッシ、セメント→都市計画とはプランニングをする前に、詳細な地区の組成マップや実態調査マップをつくり、それらのマップを「読み込む」こと、あるいは「編集」することから始めなければならないことの確認。

基地の街へ


 阿佐ヶ谷のデザイン学校での「都市・記録」ゼミをスタート。学生と街へ繰り出す授業→ベトナム帰りの巨大な輸送機(「ギャラクシー」)が発着する「横田基地」。負傷兵を、戦死した兵士が送られてきている。→「アメリカンショップの並ぶ異国情緒溢れる国道16号線」。「欧文文字看板」「星条旗」→私服刑事に尾行され、チェックされた「朝霞自衛隊駐屯地」。鉄条網と監視塔。実弾入りのカービン銃を手に持つ監視。びくびくしながら駐屯地内にカメラを向ける→あっけらかんと客を誘う「横須賀ドブ板通りの女」たち。「あんたたちなんなのさ」。山口百恵の歌が生まれる前だった。手っ取り早く客が店内を探れ、入れるカーテンだけの入り口。店に並ぶスタジアムジャンパーやフラッグ。兵士の記念、土産に肖像画を描く職人画家。「絹キャンバスに溶かした蝋絵具で描いてゆく」。「絹目の艶が生っぽい」。→それらが何になるのか?わからない。わからないから歩き出した。教える側がわからないから、学生たちは一緒に問答を引き受けてくれた。同情の生まれる時間の共有。

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